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なまはげ通信

2016/11/09

日本ラクビーをけん引平尾誠二さん死去53歳(秋工出身者からも惜しむ声)

秋工同窓会

各 位

秋工ラクビー後援会の船木です。
「日本ラクビーをけん引平尾誠二さん死去53歳(秋工出身者からも惜しむ声)」を紹介させていただきます。

ラグビー日本代表の不動の司令塔として活躍し、「ミスター・ラグビー」と称された神戸製鋼ラグビー部の平尾誠二ゼネラルマネジャー(GM)が2016年10月20日、死去した。53歳だった。最近は闘病生活を送っていた。

史上初の日本開催が決まっていた2019年のラグビーワールドカップ(W杯)を前にした突然の訃報に、ネット上では「W杯が待ってたのに」などと悼む声が相次いだ。平尾氏は、W杯日本大会の組織委員会理事と事務総長特別補佐を務めていた。

平尾さんが主将を務めた日本代表は1989年5月秩父宮ラクビー場で行われたテストマッチで、強豪スコットランド代表を破る金星を挙げた。平尾さん、太田治さんと共に出場した吉田義人さんは前半18分平尾さんからのパスを受けると中央付近を独走、自らキックしたボールを再度つかんで最初のトライを奪った。

◎太田治さん51歳(日本ラクビー協会トップリーグ委員会委員長:秋工→明治大→NEC→日本ラクビー協会):
平尾さんは同協会のトップリーグ担当理事を務めており約2か月前までメールでやり取りをしていた。日本のラクビー界にとって大きな存在だった。プレーはもちろん、言葉でもチームをまとめる力があった。2019年ラクビーワールドカップ(W杯)を控え、強い発信力を発揮してもらいたかった。

◎吉田義人47歳(サムライセブン代表:秋工→明治大→伊勢丹→フランスUS コロミエ→三洋電機→福岡サニックス→横河電機HC→明治大監督→さむらいジャパン代表):
自分が代表入りした当時のスターが平尾さん。合宿や海外遠征では いつも一緒の部屋で、公私ともによくしてもらった。言葉にならない。誰よりも本人が無念だと思う。残された後輩が団結して、19年W杯を成功させ、日本ラクビーの素晴らしさを世界に伝えなければならない。

参考:
  〇「ミスター・ラグビー」と称された平尾誠二死去:
  〇NHKが23日に平尾氏追悼番組 “伝説の名勝負”振り返る
  〇平尾誠二さん追悼番組 伝説の名勝負を再び「新日鉄釜石×同志社大学」

以上

船木政秋氏 (秋田在住S44K)

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