異郷で暮らす


大沢 由雄
昭和31年機械科卒

連載 その2砂漠の国

1:砂漠の国

 話は少し古くなるが、気温50℃を越える砂漠の国では、2000ccクラスの車ではクーラーの効きが悪いとのことで、4000ccクラスを買い求めた。アメリカのXX社が全自動の新車を発売したとのことで、それに決まった。
 なるほどドア、窓の開閉等々至れり尽くせりである。しかし、走行中に突然エンジンストップの故障になったクーラーは切れ車内の温度が70℃、80℃になるまでには時間を要しない。車内は高温サウナの状態である。ドア、窓を開けようとするが手動では微動だにしない。窓ガラスを破り脱出も考えたが、なにしろ4000ccの新車である。
 この車の異常に気付いてくれた、通りがかりの車が停まってはくれたが、窓が開かずでは事情の説明も出来ず、身振り手振りでやっと話が通じ、その人は代理店に出向き修理人を派遣してくれた。この間は小一時間だったろうか、車内の温度は上昇し窓ガラスを破る決断を迫られる時間であった。修理人が到着し合かぎ操作だけでドアは開き、灼熱地獄から開放されたのだった。気温50℃の外気でも車内の70℃以上に比べると涼しいものである。
 この安ど感からと、「これでよし、二度とトラブルは起きない」との修理人の一言を聞いただけで、どこをどうした、再発時の対応は聞き忘れてしまった。しかし、考えようでは新車の不具合点、改善点の提供者になって、このしゃく熱地獄の体験者が二度とでないことになったのではないかと思えるのである。

2:往路、帰路

 道は小高い丘の尾根道に入った。牛が一頭車にはねられ路肩にしゃがみ込んでいた。往路は「アーアー、気の毒に、飼い主の手当ては大丈夫かな」と思いながら通り過ぎた。三時間後の帰路、同じ場所には牛の姿はなく、いるのは十数羽のハゲタカだけであった。周りには牛の白骨が散乱していた。車にはねられた牛はハゲタカに襲われたのである。白骨までにされる間の光景は、さぞ凄惨(せいさん)であったろうと思わざるをえない。
 その付近で車を止めてハゲタカの飛び去るのを待ったが、ハゲタカは次なる獲物を車の中の生き物、人間にねらいを定めたがごとく、こちらをにらみ付けている。その目は鋭い。思わず恐怖を感じその場を後方へと立ち去った。やがて、ハゲタカ達が上空で旋回している光景を見て、その場を通過した。戦慄(せんりつ)の待ち時間は小一時間であった。
 牛の飼い主の嘆きは、さぞかし大きかったであろう。十数羽のハゲタカの襲来には、飼い主も手の施しようがなかったのであろう。
 鳥がハゲタカでなくコンドルであれば、アンデスの山中での出来事であるが、鳥はコンドルではなく、ハゲタカであったのでアンデスの話ではない。

 アラビア商法では、おおむね店主は店に不在で、夜にその日の売り上げを回収に来るだけである。ガソリンスタンドもしかりである。
 往路、店員はくわえタバコで給油作業である。これは、どうも日常的にしているようである。給油中は火災の不安を覚えたが注意はできない。ただただ車から降りてその場を離れるだけである。無事に給油が終わり再出発した。
 帰路、目的を達して同じ場所を通過した時の光景は一変していた。ガソリンスタンドは焼け崩れていたのである。砂漠の一軒家であり、隣家への類焼の心配はまったくないところである。心配事は作業員の安否である。しかし立ち入った干渉は不要である。なるべくしてなった火災である。とは思いつつ、店主と作業員の関係はどうなっているのであろうかと、ついつい日本的な発想が浮かぶのである。
 神、アラーのご加護がなかった、だけではないような気がするのである。

 休日のドライブである。付近に点在するオアシスを訪ねるドライブである。往路は幹線道路を離れれば、砂上のわだちの跡がオアシスへの案内標識である。10Km足らずで最初のオアシスにつく。時間があり次のオアシスへと進む。
 オアシスの風景はどこも同じである。水源の周りは石垣で囲われ、その周りにはナツメヤシが茂り、その周りにはわずかな畑と民家があるだけで、人影はまったくない。どこのオアシスも小高い場所には、石積みの見張り小屋と思われる建物がある。これは恐らく外部からの侵入者を、見張るためのものと容易に想像はつく。もちろんオアシスを守るためである。
 オアシスからオアシスへと、道なきところを進み、時計を見て帰ることになるが、来た道は記憶したつもりであったが定かではない。もちろん地図などはない。あったとしても、それには記載されるような村ではない。
 幹線道路は海岸近くで、西の方角であることだけは確かである。太陽の位置を見て西へ西へと進むのである。まさに当てずっぽうの帰路である。
 やがて、先方に小さな建物が見え人に会える喜びを期待しながら、それに向かって進むのである。突然、舗装された道に進入しいっときだけ、それを走行した。しかし、様子が目的の幹線道路とは思われない。離れた所にはテントが並び建物も粗末なものである。すぐに舗装は消え元の砂地に戻った。
 思い出したのは新しい空港が建設中である、とのことである。これが適中し建設中の滑走路を走行していたのである。幹線道路からは必ずここへの進入路があるはずと確信し、それを探し出したのである。工事用の仮設道路とは言え、わだちの跡ははっきりしており、それをたどって、ついに日暮れ前に幹線道路に出たのである。

(次号に続く)