14年前の朝6時前、通勤の車で地震ニュースの第一報を耳にした。一瞬に6千4百数十人の尊い人命を奪った阪神淡路大震災のニュースである。
事務所に到着してからは、テレビにくぎ付けになったことを記憶している。当時、私は技術士の資格取得に挑戦中で自分の学習時間を早朝に充てる事が多かった。
昭和33年秋田工業高校土木科を卒業し三井建設本店土木部に配属され、高校卒業同期入社の5人で数週間の研修の後それぞれが現場に移った。今5人とも健在で月1回の東京での懇親会を楽しんでいる。
ところが、42歳頃東京デイズニーランドの建設工事に携わったのは5月、その数ヶ月後に自律神経失調症という今ではうつ病と言われるような症状にみまわれた。
自分自身の症状を出来る限り和らげるために新聞等の音読、口の運動のために英会話の通信教育を受けたり、記憶を呼び起こすために仕事に関連する資格試験に挑戦したりとリハビリに努める毎日であった。また、定年後を考えた人生設計のためのステップアップ社内研修があり、いつの間にか年齢50歳過ぎの対象者となっており参加した。
宅建主任者の資格をパスし(平成5年)、まだまだリハビリの必要性を感じたとはいえ、大胆にも、土木技術士の資格に挑戦しようと思い立ったのは無謀すぎることだったと思う。
2年目は自主学習で受験、失敗、3年目は再度通信教育を受ける事とした。2度目からは、受講費用の補助も受けられず、また見事に不合格となる。
心・技・体を極めなければならないほどに過酷とも言える試験である。あきらめかけていた時に、朗報は届いた。この発表は、以前から年に一度か二度開催していた秋田工業土木科同級生の有志10数人でゴルフを主にした懇親会のときであった。私が当番幹事で千葉県九十九里海岸に宿泊していた朝、新聞発表となったのである。
現在、土地区画整理事業の事務局で区画整理事業の監理・運営業務に携わっているが、技術士の都市計画分野(建設部門)で受験した選択を、自信と誇りに思っている。 私が東京秋工会に参加できたのは、平成11年会社の定年退職時に総会案内が届き少しは自分の時間を作れる状況と感じていた時かと思う。東京プリンスホテルの会場に出向いたとき、ゴルフ同好会を自分のホームコースである新千葉カントリー倶楽部において開催するという案内が目にとまり、即参加を申し出た。
現役当時、ゴルフ場の工事に現場代理人として従事したとき、計画・設計にも非常に興味を覚え、広大な土地(山野)を見るとゴルフ場の絵が浮かんでくるような時期もあった。一度環境アセスメントも含めたゴルフ場の認可申請業務に従事したこともあったが、この工事は社会経済環境の変化で認可直前に取り下げをした。環境アセスメントを含めた申請業務に従事できたことが、その後の技術士の資格挑戦につながったようにも思える。今後も、町並み・景観・都市環境を大事にした街づくりを学びながら、衰えかけている身体と頭の活性化を図っていきたい。 同時に心・技・体の健康を永く保持できるように努め、温かい余韻を感じる秋工会の皆さんとゴルフを楽しみたい。 (平成21年1月17日 記 ) |