1974年 | 東京水産大学増殖学科卒業 |
1977年 | 秋田県水産課勤務、その後、県内 |
水面水産指導所、 | |
県栽培漁業センターなど。 | |
県水産振興センター海洋資源部長、 | |
秋田県農林水産技術センター水産振興 | |
センター所長 | |
秋田県農林水産部参事兼水産漁港課長 | |
平成22年3月定年退職 | |
2010年 | 秋田県立大学生物資源科学部客員教授 |
(平成22年4月~) |
秋田県の県民魚とも言うべきハタハタを増やすため、その産卵生態、餌料、回遊などの生態や資源の変動要因などを研究。 また、魚類の分布や生態に関する研究とともに、希少淡水魚類の保護や外来魚駆除に関する活動も行っている。 県内の魚類やエビ・カニ・貝類などの料理や食べ物が趣味で、秋田の地魚や旬の魚に関しても詳しい。
【役職およびおもな活動】
日本魚類学会自然保護委員、河川水辺の国勢調査アドバイザー、環境省希少野生動植物保護推進員、秋田淡水魚研究会代表ほか。技術士(水産)
【著 書】
「秋田のハタハタ文化」1997年 漁村文化懇談会
「ハタハタの漁業実態と資源生態に基づく管理」1999年
月刊海洋
「淡水魚あきた読本」1997年 無明舎
「田沢湖まぼろしの魚 クニマス百科」2000年
秋田さきがけ新報社、ほか多数
クニマス百科に対し、叢園賞受賞(2001)
引率教諭 | 今 幸喜智 先生(工業化学科長) |
生 徒 | 遠藤 直樹 君(機械科3年A組) |
出原 省吾 君(機械科3年B組) | |
佐藤慎太郎 君(機械科3年A組) | |
菊池 雄輝 君(機械科3年A組) |
秋田県角館(現仙北市角館)出身 | |
1964年 | 秋田工業高校機械科卒業、富士通小山 |
工場に入社 | |
1970年 | 25歳の時、栃木県佐野氏在住の大出 |
直三郎氏(民謡研究家)に師事して本 | |
格的な民謡の手ほどきを受ける。 | |
1971年 | 富士通川崎工場転勤に伴い、大出師匠 |
紹介の深堀桃岡先生(後藤桃水翁直弟 | |
子)に米国ダラス市に海外赴任するま | |
で18年間師事する。 | |
1988年 | 米国ダラス市の富士通子会社に海外赴 |
任。 | |
米国ダラス市では、日本人会の催しも | |
ので、日本の正調民謡を現地の人々に | |
披露。 | |
1992年 | 帰国、富士通川崎工場に赴任。民謡活 |
動を再開すると共に各種イベントに出 | |
演、現在に至る。 | |
【入賞歴】 | |
1973年 | 『秋田おばこ』で、「キンカン素人民 |
謡名人戦決勝大会」第3位 | |
財団法人「日本民謡協会主催秋季全国 | |
大会」で優勝。 | |
1975年 | 『宮城長持唄』で、「NHK喉自慢チ |
ャンピオン大会」準優勝 |
1956年 | 秋田工業高校機械科卒業、 |
1960年 | 法政大学工学部卒業、横山工業川崎工場 |
入社 | |
1966年 | 川崎重工業川崎工場、(会社の民謡同 |
好会)(尺八通信教育独学) | |
1982年 | 江戸川区葛西地区、都山流尺八楽会 森 |
田遊山師に入門 | |
1992年 | 准師範、(日比谷公会堂、日本三曲協 |
会、江戸川文化会館等で毎年演奏) | |
1999年 | 師範、秋工の「秌」の字を戴き、竹号を |
「秌山」(しゅうざん)とする | |
2004年 | 母校、現「男鹿東中学校」で自作の塩ビ |
管尺八を寄贈し、尺八の指導 | |
2010年 | 大師範、現在に至る(竹材で尺八を製 |
作、同好会のメンバーが練習中) |