良き家庭を築くのは男の仕事である

  1. 秋商東京雄水会会長

  2. 齋藤 隆 
  3. (昭和36年機械科卒)

* 家族新聞発行のいきさつと背景

 我が家で家族新聞を作り始めてから今年の9月で26年目を迎え、発行回数も158号に達しました。 当時小学2年だった息子が怪我で入院、また、家族の周囲にも不幸な出来事が重なり、辛く慌ただしい時期があった。そんな時家族のきずなを深めたい思いもあって新聞発行を提案したところ、小学5年の娘が翌日、A3判に手書きで第1号を早速作り上げた。この時、親以上に娘が家族の事を心配してくれていることに気付き感激したことを今でも忘れる事はない。
 以来、娘が編集長として息子と協力しながら、ほぼ月1回のペースで発行してきた。新聞の題名は家族が楽しく笑い合えるようにと息子が「ケラケラ新聞」と名づけ、出来上がった新聞は、学校の先生や親戚、友人、同僚などに配り、得意なイラストを交えてユーモアたっぷりの新聞で周囲の人を楽しませてくれた。また、毎月の編集会議は、いつも笑いを交わしながら賑やかな集いになり、載せる記事内容の決定も娘が決めることが定番になった。娘が面倒になると今度は息子が編集長に代わって新聞をまとめたりしたこともあったが、親は出来るだけ口を挟まず、子供たちに任せるように心掛けた。

* 口では言いにくいことが伝えられる

 娘、息子も中学生、高校生にもなると部活や友人関係の悩み等反抗期を見せるなど、扱いにくい時期があり、全て順風満帆でなかったが、そこはユーモアと笑いで切り抜けた。最近、親子間に係わる犯罪や、不祥事の多さを垣間見るにつけ、ともすれば父親としての存在感の薄さと意志疎通の不足があるのではと思いつつ、家族新聞作りの意義とその効果を紹介をしたい。
 子供たちとは勿論、夫婦間と言えども面と向って中々言いにくいものだが、新聞を介してなら伝えやすい。娘の結婚や、息子の就職に際しては、はなむけの言葉をとつとつと書いた。決して満足するようなものも与えられなかったが、褒めるべき時は必ず褒め、しかるべき時はきちんと叱ってきた。受験や進学などで休刊し、途絶えがちであった新聞の発行も娘の結婚後は妻と2人で作り、題字も毎回変え、イラストや漫画、身近な出来事、エッセイ、旅行紀行文など紙面いっぱいに掲載し、最近では近くに住む小学生の孫も漫画を書いて参加し、3世代一緒の新聞作りになっている。家族新聞作りによって我が家族からのメッセージとして生まれた「齋藤家の信念」たるものを次に紹介したい。

 ユーモアのあるところに笑いがあり
  笑いの中から会話が生まれ
  会話のある家庭から非行は起こらない
  決して不和もあり得ない

* 継続は力なり、されど難しい

 今まで我が家の族新聞を見て共鳴し、実際に発行を試みる友人が多くいたが、ほとんど1,2号で挫折しているようだ。やはり継続するには発行する信念と継続力を持ち合わせることは必要ではある。それ以上に家族ぐるみで取り組むことがも大切な要素と言える。新聞発行継続するための心構えと条件を述べておきたい。

  @ 家族と家族を取り巻く出来事の歴史を残す意識を持つ
  A 口では言えない事でも書く事で伝え易い効用を認識する
  B 新聞作りを生涯の仕事とし、生活リズムに置き換える
  C 社会へ出た娘、息子達との心の定期連絡便とする

就職した息子、出産間近の娘、そしていろいろと苦労をかけている妻への応援歌を家族新聞に掲載したものを紹介したい。

家族への伝言

  幹夫のことが心配でならない
  遠い地で無事に頑張っているか
  しっかり栄養を採っているか
  熱を出して寝込んでいないか
  時折元気な姿を見せに来てくれ
  
  智恵子のことが心配でならない
  近頃とみに顔色が芳しくなく
  それで無事に子供を生めるのか
  夫婦仲良くやってくれているのか
  いつもの笑顔でわがまま言ってくれ
   
  妻のことが心配でならない
  気丈夫そうに見えてはいるが
  いつも心配かけてすまないが
  おまえに何か起これば共倒れだ
  ユーモアと小言を忘れないでくれ
   
  幹夫はぜったい大丈夫だ
  智恵子も意外とたくましい
  妻もやりこなしてくれるだろう
  今までみんなで乗り越えてきた
  だから何が起きても心配はしない

               (平成13年9月25日作成)