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会員寄稿

昭和25年頃の秋田市街地地図

2018/02/13

生まれ故郷の秋田市の町々が新町名へと変わっていったのは昭和40年頃。その頃すでに小学校の高学年になっていて新町名に慣れ親しむようになってから秋田を離れたのではあるが、自分の中にはなぜか旧町名へのこだわりのようなものがある。ただ、自分の生まれた町の周辺はともかく、少し離れた辺りはどんな町名があったか少しばかり記憶が薄れて来ている。

少し前、そんな話を奥山さん(S41K)とした際、昭和25年頃の秋田市の地図を奥山さんが持っているとお聞きし、そのコピーをいただいた。そのコピーをスキャンしたのが下記に掲載の地図である。 地図はややラフに描かれた手描きのもので上が東。少し分かり易くするため旭川他の川に薄くグレーを入れた。

母校の秋工は左(北)側の真中に工業学校と書かれているところ。新中島橋がない。 秋田駅から市電がまっすぐ伸びている通りが広小路。その右の広小路に平行しているのが現中央通り。その昔は現在の三分の一くらいしか道幅がなく、確かイケナワ通り(漢字は?)と言っていたように記憶している。

もう一つ書かせていただくと、駅のすぐ下にある秋田南高校は現在の南高とは別物。現南高は昭和37年設立の学校。ここに描かれているのは学制改革直後に旧秋田中学が昭和28年に秋田高校に改称されるまで名乗った校名。

と、まあ、古い地図はいろんな懐かしいことを思い出させてくれたり再確認・再発見させてくれる。 古い地図を見ながら皆さんなりの何かを感じていただけたら・・・と思う

秋田市地図昭和25年(click:拡大)

投稿者/舩木一美(S48M)

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