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連絡・報告

東京雄水会総会に出席して

2023/06/24

一か月ほど前、佐々木会長から秋田商業高校同窓会東京支部(東京雄水会)の総会に会長の代理で出席依頼があった。私も他校の同窓会総会には出席したことがなかったので、出席の返事をした。

6月24日(土)は、21日の夏至も過ぎ関東地方は梅雨末期を思わせる雲の多い蒸し暑い一日となった。毎日が日曜日の生活で涼しくしているが、他校の同窓会総会の来賓として出席するからにはジャケットぐらいは着用しなくてはと思い、汗を吹きながら東京市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷に向かった。

頂いた出席者名簿によると69名の参加者。他にゲストとして母校校長、秋田の同窓会本部、秋田県東京事務所、恩師、東京あげまき会(秋田北高校東京支部)と東京秋工会(私)などが出席した。


出席者名簿の卒年から年代別人数、69名のうち女性参加者12名、平成以降卒は4名

以下、来賓の立場として遠慮気味に撮った写真とともに様子を報告。

報告 赤川 均(S41E)

東京雄水会 越前谷千秋会長
第5代会長浅間昭夫氏が昨年11月、第6代会長和田武男氏が今年2月ご逝去された。会のために高いリーダーシップを発揮して頂いた。

講演者は、同校卒業生で現在日本体育大学副学長の八木沢誠氏
演題は「秋商剣道部が教えてくれたこと」、自身の歩んできた道を「守破離」の段階になぞらえた。守破離は千利休の訓をまとめた「利休道歌」にある、「規矩作法(きくさほう)守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな」から来ているとされ、茶道だけでなく武道などでも師弟関係のあり方を示している。
八木沢氏は昭和36年秋田県湯沢市の生まれ、尊敬する師との出会いから剣道の道に進み、秋田商から日本体育大学の教員となり現在に至る。最難関といわれる剣道八段。

小林陽一トリオ

ジャズ歌手神馬美代子氏は昨年の秋田ふるさと応援団の集いでも歌っていただいた

同じ来賓のあげまき会東京支部長の 藤原宏子さんとは、秋田ふるさと応援団の理事会などで、年に何度もお会いしている

昔のイメージでは秋田商業高校といえば野球とサッカーが強かった。1960年(昭和35年)第32回の選抜大会では小さな大投手といわれた今川選手を擁した秋田商業チームは準決勝まで駒を進めた。
甲子園出場した秋田県チームでは、秋田高校が29回、続いて秋田商業が28回、何とか秋田高校に追いつき追い越せと、野球部OBが登壇し母校チームにエール

差し入れのサクランボ

応援歌

東京雄水会の囲碁同好会の丹波日出夫氏とはお会いした記憶があった。
2011年頃、東京秋工会の囲碁同好会は定例囲碁会を東京八重洲のいずみ囲碁ジャパンで開催していた。同じく東京雄水会も日にちは違っていたが同じ碁会所で定例碁会を持っていた。多人数で予約すると入場料が割引になることや、同じ秋田県出身者で楽しみたいとのことで、2年ほど合同の碁会を持ったことがあった。その後曜日の都合が合わなくなって解消した。
出席者名簿の卒年によると83歳と思われる丹波氏は少し耳が遠くなったようだがお元気でした。現在東京雄水会の囲碁同好会の活動は停止しているとのこと

手前左が丹波氏。2011年8月20日・八重洲いずみ囲碁ジャパン(東京秋工会サイトより)

左から、丹波氏、岸本前会長、赤川、藤原さん、越前谷会長

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