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プロレタリア文学者「金子洋文」

最近の世相を反映し、プロレタリア文学作家小林多喜二の『蟹工船』が話題になりましたが、日本プロレタリア文学の祖といわれる『種蒔く人』を発刊した一人で、1913年(大正2年)秋工機械化卒の金子洋文氏の足跡をたどってみました。

私は1963年(昭和38年)に秋工に入学しましたが、昭和39年9月25日、秋工創立60周年記念式典が秋田県民会館で挙行されたおり、金子洋文氏の記念講演を聴きました。講演内容については覚えておりませんが、当時70才の金子氏の朗々と館内に響き渡った声の印象は残っております。当時は金子氏についての知識はありませんでしたが、現在はネットに多くの情報が載っています。以下文学者として敬称は略します。

(赤川均 S41E)
    金子洋文 年譜 
  • 1894年(明治27年) 4月8日秋田市土崎古川町の舟問屋の4男として生まれる
  • 1913年(大正2年) 秋田工業学校機械科卒業
  • 1913年(大正2年) 秋田工助手を経て母校土崎小学校の代用教員となる 
  • 1916年(大正5年) 上京し武者小路実篤の書生となる
  • 1921年(大正10年) 小牧近江、今野賢三と社会主義思想の文芸雑誌『種蒔く人』を土崎で創刊
  • 1923年(大正12年) 『解放』に発表した「地獄」が出世作となる
  • 1924年(大正13年)〜『種蒔く人』の後継誌『文藝戦線』を創刊。戯曲、脚本も書いた。
  • 1947年(昭和22年) 社会党の参議院議員(全国区)を一期務めた
  • 商業演劇の脚本家となり、松竹歌舞伎審議会専門委員、また『劇と評論』編集委員
  • 1985年(昭和60年) 3月21日没(90才)


土崎図書館資料より

金子洋文(かねこようぶん)

生まれた場所:秋田市
生まれた年 :1894年
なくなった年:1985年

『種蒔く人』を作った
1921年、「種蒔く人」という雑誌が秋田市土崎で生まれました。小説や詩、評論を中心と したこの雑誌は、当時の様々な社会的問題を鋭く描き出す内容で、日本中に大きな影響を与えま した。この雑誌を作ったのは、土崎に生まれ育った3人の秋田県人です。 「種蒔く人」を作った3人のそれぞれの人生を見ていきましょう。
 金子洋文は、今から110年以上前の1894年、秋田市土崎に生まれました。本名 は吉太郎と言います。生まれた家は、たいへんまずしい家でした。6歳のとき土崎尋常 小学校に入り、のちに「種蒔く人」をともに作る今野賢三・小牧近江と同じ学年になり ました。
 洋文は、15歳で学校をそつぎょうして、東京で電気工事の仕事につきました。2年 あまりで秋田にもどって県立秋田工業学校(今の秋田県立工業高校)に入り、19歳で そつぎょうしました。3年ほど秋田工業学校や土崎小学校の先生の仕事をしましたが、 22歳のとき、ふたたび東京に行きます。小説家になる夢をかなえるためでした。そし て洋文は、そんけいしていた小説家である武者小路実篤の家で書生(家のざつようを手 伝いながら勉強する人)をしていました。
 そのような中、洋文は27歳のときに、賢三・近江とともに「種蒔く人」というざっ しを作りました。そして「種蒔く人」に「眼」などの小説を発表しました。29歳のと きに書いた「地獄」という小説では日照り(長い間、雨がふらないこと)で苦しむ農民 のすがたをえがき、多くの小説家から高いひょうかを受けました。
 31歳のとき、洋文は「文芸戦線」という雑誌に参加します。このころ、洋文は小説 だけでなく、戯曲(劇の台本のこと)も書くようになりました。洋文の書いた小説や戯 曲は、はたらく人の苦しみや悲しみを見つめたものでした。そこで高い人気を受けた洋 文は、社会の問題をえがくだけではなく、楽しい内容のものなど、さまざまな分野の戯 曲をたくさん発表して、ゆうめいになりました。
 53歳のとき、洋文は第1回参議院議員選挙で議員に選ばれました。議員の代表とし て、洋文はパリでひらかれたユネスコの総会に出席するなどの活動をします。しかし、 2回目の選挙では落選してしまいました。
 59歳のとき、それまでの歩みをたたえられ、洋文は秋田市特別功労賞や、秋田魁 新報社文化賞を受けました。
 「種蒔く人」を作り、小説家、戯曲家、そして演出家として芸術の発展につくした洋文は、90歳で亡くなりました。
 洋文の十七回忌である平成13年には、土崎で洋文をしのぶ会が開かれました。秋田 市立土崎図書館には「種蒔く人資料展示室」がもうけられています。

=>小牧近江・今野賢三について(土崎図書館資料より)
=>秋田市立土崎図書館の玄関前には「種蒔く人」のレリーフがあります。

洋文の書生時代の写真

洋文は秋工卒業後、秋田で教師をしましたが、22才のとき小説家を目指し上京しました。
千葉県我孫子市の白樺文学館ホーム・ページに金子洋文の写真が載っています。

1917年(大正6年)に洋文が我孫子市の武者小路実篤宅で書生をしていた頃の写真(左端が洋文23才)
=>白樺文学館ホーム・ページ


種蒔く人
 種蒔く人(たねまくひと)は、1921年(大正10年)、小牧近江が出身地の土崎小学校時代の友人、今野賢三、金子洋文らと土崎で第一次三冊を発行した雑誌。
 翌年、東京版を発行し、青野季吉・平林初之輔らも参加した。 小牧がフランス滞在中に参加したバルビュスの提唱した反戦運動=クラルテ運動の種を日本で蒔くと言う趣旨に基づく。スローガンに「行動と批判」を掲げ、ロシア革命救援、非軍国主義、国際主義などを基調に様々な特集を組んだ。 1923年、関東大震災により廃刊(第二次通巻21冊)したが、終刊号と別冊『種蒔き雑記』で震災時の亀戸事件での朝鮮人・社会主義者への虐殺に強く抗議した。 『文芸戦線』はこれに後続するものとされる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

種蒔く人の表紙にはミレーの「種蒔く人」をあしらい、その横に「自分は農夫のなかの農夫だ。自分の綱領は 労働である」という言葉が付されている。(北条常久氏論文より)

=> 小牧近江 (鎌倉文学館)

=>『種蒔く人』と秋田の無産運動 ―民衆の目覚め― (労働者運動資料室より )


北条常久氏の論文
北条常久氏は文学博士、1939年生まれ、福島県出身、東北大学文学部卒、秋田聖霊女子短大教授のあと秋田市立中央図書館明徳館の館長となりました。種蒔く人、金子洋文などについての研究があります。

洋文の土崎小学校時代から小説家を目指すまでを、聖霊女子短期大学紀要・北条常久氏論文「金子洋文の文学的出発」で述べられています。
 洋文は一旦上京したが帰省し秋工機械科に入学、卒業後秋工の助手から母校土崎小学校の教員を務めた。当時秋田に来ていた歌人富田砕花(1890年生まれ・盛岡市出身)の影響を受け小説家を目指すに至ったようです。

また、「古川町モノ」では洋文のプロレタリア文学運動について、触れられています。
(次のサイトで右の「プレレビュー」をクリックし、下のページからさかのぼって読みます。)

=>聖霊女子短期大学紀要<論文>金子洋文の文学的出発

=>聖霊女子短期大学紀要<論文>金子洋文の「古川町モノ」

=>北条氏の博士論文・「種蒔く人」の誕生と展開(pdf)


    金子洋文 著書
  • 生ける武者小路実篤 種蒔き社, 1922
  • 蝶と花との対話 お伽理科 実業之日本社, 1923
  • 地獄 自然社, 1923
  • 投げ棄てられた指輪 新潮社, 1923 (現代脚本叢書)
  • ? 金星堂, 1924
  • チョコレート兵隊さん 金星堂児童部, 1925
  • 理髪師 戯曲集 金星堂, 1927
  • 銃火 春陽堂, 1928
  • 飛ぶ唄 平凡社, 1929
  • 魚河岸 日本評論社, 1930
  • 新選金子洋文集 改造社, 1930
  • 日本プロレタリア傑作選集 赤い湖 日本評論社, 1930
  • 部落と金解禁 塩川書房, 1930 (プロレタリア前衛小説戯曲新選集)
  • 狐 酒井書店, 1941
  • 父と子 牧書店, 1941
  • 白梅記 素人に出来る移動演劇脚本 翼賛図書刊行会, 1942
  • はたらく日記 河北書房, 1942
  • 菊あかり 有光社, 1943
  • 金子洋文脚本集 富国出版社, 1947
  • 白い未亡人 中内書店, 1950
  • 金子洋文作品集 1−2 筑摩書房, 1976
  • 種蒔く人伝 労働大学, 1984


こちらのサイトにも情報がありました。

=>Infoseek楽天
(以下抜粋)

民謡「秋田港の唄」について
金子洋文が昭和14年頃、 故郷の海や漁師をイメージして作ったもので、(作詞・作曲) 豪快な掛け声と哀愁漂う歌詞が特徴。 秋田の民謡の中で数少ない海の唄として愛唱されている。
秋田港の唄
ホーラホーサーノサー エンヤラホー
エンヤホーラホー サーノサー
エンヤラホー エンヤー
沖のかもめに 父さん聞けばョー
私しゃ立つ鳥 波に聞け
ホーラホーサーノサー エンヤラホー
エンヤホーラホー サーノサー
エンヤラホー エンヤー
遠くはなれて 母さん思ってョー
うらの浜なす 花が咲く
今日の泊まりは いずこの空だョー
風と波とで 日が暮れる
男鹿の山だよ 港の浜だョー
春を迎える にしん船
雪が消えたよ 草履コの道だョー
町は春風 そよそよと
あちらこちらに 嫁とり話ョー
おらが嫁御は 何処にいる

[解説]この唄は昭和41年頃、現在の秋田市土崎港出身の劇作家:金子洋文氏が、故郷の海や漁師をイメージシテ作詞・作曲してもので、新民謡では珍しく定着したものであります。
土崎港は、雄物川の河口港で、船問屋の民の家には船乗り達がやって来て酒盛りをしたと言うからそれらもヒントになったかもしれない。
「ホーラサーノサー」は伝馬船を漕ぐ時や、引き船の時の掛け声から来たものだという。
*以上「フジオ ロクボン出版の「民謡学校」および「秋田港の唄全国大会」の資料より抜粋」  

大映、嵐寛寿郎 主演映画や松竹映画など多くの映画原作者になっています。

    「飛ぶ唄」
  • 製作年: 1946
  • 配給: 大映
  • スタッフ
  • 監督: 菅英雄 スガヒデオ
  • 原作: 金子洋文 
  • 脚色: 丸根賛太郎 マルネサンタロウ
  • 撮影: 石本秀雄 イシモトヒデオ 川崎新太郎 カワサキシンタロウ
  • 音楽: 西梧郎 ニシゴロウ
  • 作詞: サトウ・ハチロー 
  • 録音: 海原幸夫 カイハラユキオ 奥村雅弘 オクムラマサヒロ
  • スクリプター: 丸根賛太郎 マルネサンタロウ
  • 特別出演: 霧島昇 キリシマノボル 鶴田六郎 ツルタロクロウ
  •       栗本尊子  田端義夫 タバタヨシオ
  • キャスト(役名)
  • 嵐寛寿郎 アラシカンジュウロウ嵐寛寿郎 (遠山十四郎)
  • 高山廣子 タカヤマヒロコ高山広子 (芸者小芳)
  • 羅門光三郎 ラモンミツサブロウ (乾小弥太)
  • 原健作 ハラケンサク原健策 (立川坤)
  • 寺島貢 テラシマミツグ (井村征蔵)
  • 嵐徳三郎 アラシトクサブロウ (沼野)
  • 小川隆 オガワタカシ (沙多木)
  • 原聖四郎 ハラセイシロウ (海江田)
  • 上田寛 ウエダヒロシ (権次郎)
  • 葉山富之輔 ハヤマトミノスケ (大林)
  • 堀北幸夫 ホリキタユキオ (室崎)
  • 小池柳星 コイケリュウセイ (瓢齋)
  • 福井隆次 フクイリュウジ (森田)
  • 芝田大順  (佐市)
  • 加賀美健一 カガミケンイチ (綱平)
  • 小泉利文 コイズミトシフミ (文吉)
  • 竹里光子 タケサトミツコ (鞠江)
  • 白峰千久輝  (銀子)
  • 早見栄子 ハヤミエイコ (貴美子)
  • 北條みゆき ホウジョウミユキ (染丸)
  • 解説
    菅英雄昇進第一回監督作品。
    これは徳川初期の物語。遠山十四郎は徳川の封建制度を打倒すべく、同志と努力しましたがあえなくこれが失敗に帰すや、巷にあふれる人民の不平不満の声を唄に託して街々に流布致しました。時代に適合した遠山の唄はたちまち全国にはんらんします。
    驚いたのは政府当局で、ただちにだんあつの手段に出ましたが、いつの世も役人のスロモーは同じと見え仲々に飛ぶ唄には追いつけません。司法省の要職にある井村征蔵は部下の立川坤にこの飛ぶ唄を捕らえることを命じます。立川は思わぬ大命に俄然ハリキリます。そして唄うたいのおきん、次郎吉君等愛すべき人々が彼の手に捕らえられてゆきました。そして遂に唄の作者、遠山と出逢うことになりましたが、何と遠山も立川も、前には討幕運動参加の同志であったのです。ただ、幕府の瓦解後お互いの見解の相違から道を違えていたのですが、遠山の才を買っている立川は井村に彼を推選します。そしてともかく捕らえる者と、捕えらるべき者との会見が行われますが、所詮は水と油でとけ合うわけには参りません。まして芸者の小芳という女性を間にはさんでいる事を、愛する身の敏感さで、それとなく感じているお互いでは??。『遠山を捕縛せよ』との立川にはつらい命令が井村から出ます。仕方なく遠山を捕らえに出向きますが遠山はまんまと闇にまぐれて一目散。そして小芳のところへ逃げて来ましたが、立川に遠山をしばらせてしまえば、と虫の良い考えを起こした井村が、今や小芳を懸命に口説きにかかっているところでした。遠山に罵倒され井村は淑女の手前の面子もあり夢中になって斬りつけますが逆に斬られてしまいます。そして遠山はちょうどかけつけた立川に捕縛されてゆきますが、正当防衛を信ずる彼の心は明るいものです。そして彼の作った唄は相変わらず街から街へ民衆の間を飛んで行きます。


政治家としての洋文
洋文は昭和5年、第2回普通総選挙で秋田無産党から立候補しましたがこのときは大差で落選しました。
当時秋田県には鉱山が多く鉱山労働者や小作農民(無産階級といわれた)の争議が続き社会主義運動が高まっていたようです。
53才の戦後1947年(昭和22年)第一回参議院選挙で社会党全国区から出て当選しました。
昭和24年11月29日 第6回(臨時)国会 参議院本会議 でユネスコ決議が採択されましたが、このときの洋文の発言が載っていました。

ユネスコ運動に関する決議
 憲法第九条によつて永久に戦争を放棄した日本国民こそ人間の心によつて永遠の平和を築き上げることを目的とするユネスコの精神と運動に最大の関心をもつべき義務がある。  われらは、わが国に駐日代表を派遣し、わが国の平和運動に多大の支援を与えているユネスコ本部の厚意に感謝するとともに、一刻も速かに正式参加を許容されんことを希望する。政府は、盛り上りつつある民間ユネスコ運動に相応じ、速かにこれを一層促進する措置を講ずべきである。  右決議する。

1949.11.29.参議院での金子洋文の発言(ユネスコ決議)
国際連合教育科学文化機関即ちユネスコは、過去の歴史に見られない独特の機構であり運動とされているのでありますが、この運動が終戰後、期せずして多くの支持を得て発足したゆえんのものは、申すまでもなく第二次世界大戰の結果でありますが、同時に終戰の間際において二個の原子爆彈が使用されたことも大いなる原因をなしているのであります。
二個の原子爆彈が広島と長崎に投下されたとき、世界の人々は思いも寄らない衝撃を受けたのでありますが、バートランド・ラツセルの表現を借りますと、世界に巻き起つた反響は一種茫然とした驚きがあつたと言われております。そうして誰しも考えたことは、双方原子爆彈による大規模の原子戰争が始まつたならば、人類はみずから発見創造した科学のために滅亡するだろうという考えであつたのであります。(「そうだ」と呼ぶ者あり)こうした人間に対する不信と絶望の念を抱きながら、人々は戰禍の未だ生々しいロンドンのユネスコ大会に参集したのでありますが、このときの議長になつた英国代表の文部大臣エレン・ウイルキン女史も同じ危惧の念を述べておるのであります。「今日、我々は、科学者がこの次に何をしでかすか、非常な危惧の念で疑つておる。科学者がヒユーマニズムと密接に結び合い、彼らの研究の成果に対して人類に責任を感じるようにすることが必要である。ユネスコの表題中に科学の言語を是非入れて欲しいと主張したのは科学者自身であつたことは欣快に堪えない。」正にその通りでありまして、物質科学が人間科学即ち広い大きな意味のヒユーマニズムと手を握ろうとしなかつたならば、次の戰争は人類滅亡の端緒をなすであろうことは言うまでもないことだろうと思います。
「戰争は人間の心の中で始まるものであるから、人間の心の中で平和の防衛が建設されなければならない。」この言葉はユネスコ憲章の冒頭にある有名な一節であつて、すでに皆さんも御承知のことと思います。この憲章の草案者は、アメリカ国務省の文化局長であり左翼詩人のマツクレーン氏と聞いておりますが、そう聞くと、詩人らしい風格があつて、肌ざわりがよく、幾分甘さもあつて、一般に快く玩味されるゆえんでありますが、それだけに、ありきたりの精神的な平和運動に誤解される懸念もないではありません。併しユネスコ運動が従来の平和運動と異なる点は、政治、経済等の物資面を担当する国際連合と表裏一体の運動であることでありまして、人類の知的及び徳性的結合によつて平和を守ろうとするのであります。現在日本においては、全国に六十八の協力会があり、その外にユネスコ議員連盟や、世界にないところの学生ユネスコ・クラブ等があつて、活動しているのでありますが、この運動は官僚に指導される運動であつてはならないし、特定の団体や活動しない有名人を首脳部に戴く運動であつてはならないのでありまして、それは飽くまでも主権在民に即応したところの民官一致の運動でなければならないのであります。然るに今回ユネスコ運動の実情調査のためにアメリカへ派遣された人々の顔ぶれを見ますと、外務関係一名、文部関係二名、民間協力会関係一名となつておりまして、戰前と変りない人選となつておるのであります。この人選に対しては民間においてもごうごうたる非難がありまして、将来のユネスコ運動に対して禍根を残す虞れがありますので、この点については政府はどのような考えを持つてこの運動に臨もうとしておるのか、その所見を伺うことができましたら幸いと存じます。以上を述べて私は本決議案に賛意を表するものであります。

参議院での発言記録。社会党議員として吉田内閣の軍備拡張と憲法改正について、反対を唱えているようです。
この年3月14日に吉田内閣は、所謂「バカヤロー解散」をしました。

1953年01月31日 参議院第15回特別国会
○金子洋文君 私は日本社会党第四控室を代表しまして、政府の施策に対して質問をいたしたいと存じます。
 先ず第一にお尋ねしたいことは国際情勢に関する問題でございますが、御承知のように私は皆さんの御推薦を受けて第七回ユネスコ総会に出席し、パリに約四十日間滞在いたしました。その間各界の人々からヨーロツパにおける政情に関していろいろ見聞したのでございますが、朝鮮動乱が起りました当時の最高潮の不安状態に比べますと、戦争の危機が幾分遠のいたという安心感を抱いているように見受けられました。その結果、アメリカの反対にかかわらず、英国やフランスの軍備拡張計画が緩慢となり、削減の方向を辿つていることは、皆さんも御承知の通りでございます。その理由として、ソ連に対する警告的な軍備拡張が一応目的を達したのだと見る人もございます。又ソ連が早期の決戦を諦めて長期作戦に切替えたためであるという説もございます。この両説の正否は暫くおくとしまして、朝鮮動乱が波欄曲折を経て休戦に入るに至つて、それまで疑惑と恐怖に惑わされていたヨーロツパの批判の眼が次第に冷静を取戻し、事態を誤まりなく見るようになつたことが大きな原因であると思います。
 アメリカの評判は、フランスでも、イギリスでも、ドイツでも、よくありません。我々日本人はマツカーサー元帥から十二歳の子供扱いにされたのでありますが、現在ヨーロツパ各国において珍らしく一致している考え方は、アメリカは「大人の子供」であるということであります。それ故、アメリカの外交は若くて粗雑であり、その上、衝動的であり、時には金を貸している関係もあつて高圧的であるとさえ言われています。その結果、今日ヨーロツパでは、国際危機に対するアメリカの判断は独善的、であつたという非難さえ起つているのであります。アメリカがこれまでとつて来た外交政策、即ちソ連に対する封じ込め政策の立案者はケナン駐ソ前大使と言われていますが、この政策の実行に対してケナン氏は五つの原則を挙げております。その第一に、自由国は強力でなければならないということを挙げているのは当然でありますが、五原則のうちで最も示唆に富んでいるくだりは、結束を強調して「恐怖と不安の念を起させてはならない」と戒めている点でございます。即ち、「仮りに国家に反逆を企てる者が一人いて、これが見付からないとしても、他のすべての国民が互いに信頼の絆で結ばれているような社会は、恐怖と不安を起させてもたつた一人の反逆者を捕えるという社会よりは、邊かに強固なものである」と言つていることであります。然るに、若くして粗雑であり、その上、衝動的であるアメリカの外交は、朝鮮動乱に刺戟されて、ケナン氏の戒めとは反対に、世界に恐怖と不安を巻き起すことに成功したことは、周知の通りでございます。恐怖が革命の生みの親であり、権力政治の根底をなすものであり、人々を盲目にすることは、「現代革命の考察」においてロハルド・ラスキがすでに教えるところでありますが、アメリカの外交が朝鮮動乱の刺戟を受けて必要以上に恐怖と不安をかきたて、世界をして軍備拡張に駆り立てたそしりは免れないと思います。封じ込め政策を立案したケナン氏は明哲な外交官と思いますが、ソ連からボイコツトをくらつたことによつてもわかりますように、金持のお坊ちやん育ちであると言わねばなりません。金持であるために、自国の経済が政治と遊離しがちであることも手伝つて、貧しい国の政治と経済が密着していることが理解できません。それ故に、その対外政策はアメリカの内政に比べると、クラシツクで、反動的であり、時には粗雑と衝動をむき出しにして、ヒステリツクになつたり、高圧的に押し付けようとするのであります。
 武力の差によつて平和を守ろうとする封じ込め外交には三つの欠点がございます。その第一は、軍備拡張競争をして戦争を防ぎ得た例は近代史において見られないということであります。反対に、軍備拡張競争は、第一次世界大戦、第二次世界大戦を誘発した要因の一つとなつております。第二の欠点は、そのために世界中が貧乏になるということであります。その最もよい例はフランスでありますが、御承知のようにフランスはインドシナで戦争をやつております。その費用が一日十二三億フランを要すると聞きました。そういう関係もありまして、昨年の国家予算は軍事費の一〇%六を加えて三兆七千億フランでありました。そのために赤字が一兆四千億フラン、その赤字を主として農民の税金によつて賄おうとしたのでありますから、農民党の反撃をくらつてビドー内閣が瓦解せざるを得なかつたのであります。この窮乏はひとりフランスばかりではありません。英国然り、アジア然り、日本もその例に漏れないのであります。第三の欠点は、武力を以て平和を守ろうとする結果、自由国とは相反するスペインのフアシズムと結んだり、西欧の植民地政策を支持する行動に出ていることであります。その結果、長い間、西欧の植民地政策に苦しんで来たアジアにおいても、アフリカにおいても、アメリカの外交政策が不評を買うことは当然と申さねばなりません。
 従いまして封じ込めの外交政策は、平和維持と世界の安全に役立つよりも、戦争を誘発する危険性を多分に内包していることを指摘しなければなりません。吉田内閣の外交政策はこのアメリカの外交政策に同調していることは今更言うまでもございません。同調というよりは、アメリカ外交政策の実態を見究めないで、向米一辺倒にかたよつた媚態と追従の外交に終始していると申すべきでしよう。その結果、粗雑で衝動的な傾向を一層募らせ、日本の内政に干渉するばかりか、貿易にまで蓉喙する発言をマーフイ大使に許す結果を見ているのであります。こういうアメリカの外交政策を総理はどうお考えになつているのか。又吉田内閣はこうしたアメリカの外交政策にあくまで盲従して行く考えであるのか。先ずこの点をお尋ねいたしたいと存じます。
 吉田総理は、過日の参議院本会議において、我が党の羽生三七君の世界情勢に関する質問に対して、「羽生君のお話だと今にも戦争が起るようでありますが、不幸にして英米その他の当局はそうは言つておらないのであります。アイゼンハワアー元帥にしても、或いはアチソン国務長官にしても、近くはイーデン外務大臣にしても、シユーマン外務大臣にしても、戦争の危険は日に日に遠ざかりつつあると言つておるのであります。私はこの議論を信用するものであります。」こう答えて、「国民のために矯激な議論はしないほうがよい」と反論いたしております。私も前段において、朝鮮動乱が起つた当時に比べると、ヨーロツパでは戦争に対する危機感が遠ざかつていることを申上げました。併しこのことはアメリカの大統領選挙がきまらない前の情勢でありまして、共和党が勝つた後のヨーロツパの政局はハリの冬の天候のように曇りがちとなつたことは多くの人々から聞き伝えたことであります。勿論アメリカの政変によつて戦争が俄かに起るとは思いませんが、ヨーロツハは暫くおいて、アジアの危機が深まつたことは、何人も感知したことと思います。そのことは、一月二十七日行われたダレス国務長官の演説からも看取されることだと思います。御承知のように、ダレス長官は民主党の外交政策に不満を述べて、強硬政策、即ちロール・バツク政策を唱えております。これをアジアに適用する場合は、アジアはアジア人に戦わせるということであり、日本に一層の軍備拡張を強要することであり、進んで満州を爆撃し、日本軍を朝鮮その他の戦域に送り込む危険さえもあるのではないかと杞憂されます。昨日の演説において総理と外相は、ダレス氏が国務長官になつたことを、アジアの平和にとつて喜びに堪えないと、異口同音に述べていますが、若しもこれが本音であるとするならば、人間に対する理解と外交的観測が零に等しいと申さなければなりません。(「その通りだ」「全くだ」「戦争屋は誰だ」と呼ぶ者あり)ダレス氏は吉田総理を翻弄して、屈辱的な講和と行政協定を日本に押し付け、憲法を無視して再軍備を強要した立役者であります。(「そうだよ」と呼ぶ者あり)この立役者は、演劇的に申しますならば、忠臣蔵の吉良上野介を思わせる性格を備えておると申しても失礼に当らないのでありましよう。(「ヒトラーを作つたのは誰だ」と呼ぶ者あり)従いまして、国務長官としてのダレス氏の登場は、アジアの禍いとなるかも知れないが、平和と安全の維持に役立たないことは、同氏の演説が端的にそれを示しておると思います。(「その通りだ」と呼ぶ者あり)一体、日本の北辺に如何なる危険がひそんでおるというのでありますか。その語気が伝えるニユアンスは、明日にも共産軍が北海道を占拠するような恐怖と不安を伝えておるのであります。若しソ連機が北海道の上空を侵したことを以てかような言辞を弄したとするならば、日本人に恐怖と不安を与えておいて一層軍備を拡張させようとする、不敵な謀略的言辞と申さねばなりません。(拍手)
 そこで総理にお尋ねしたいことは、ダレスのロール・、バツク政策によつて国連軍が満州を爆撃する危険がありや否や。若し爆撃するような不測の禍いが起つた場合、全土アメリカの基地化している日本は報復爆撃を受けることは当然と思うが、その場合、政府において対策がありや否や。国民が最も不安に思つていることでありますから、明確にお答えを願いたいと思います。これが第一点。
 第二点は、日本の保安隊が、実戦を見学するという目的で、パスポートを得ることなしに朝鮮に渡るようなことがなきや否や。併せてお答え願いたい。  昨日行われた岡崎外務大臣の外交方針を聞きまして、私が第一に奇怪に思つたことは、中立はあり得ないという日本共産党の主張に同感の意を表していることであります。(笑声)日本共産党がそういうことを表明したかどうかは私は存じませんが、若し外相の言うことが間違いないとするならば、日本共産党は、スターリンの言うところの共産主義と資本主義が共存できる」という言明に反するものであり、ストツクホルムやウインナで世界の平和会議を開くことも無意味と思います。(「少しおかしいですね」と呼ぶ者あり)ソ連が真に平和を望むならば、ソ連にも付かない、アメリカにも付かない、中立的な第三勢力を喜んで迎うべきであつて、中立はあり得ないということは、スターリンの言明に反し、平和会議の虚偽的性格を暴露するものと言わねばなりません。これらのことを十分考慮することなく、日本共産党の中立否定に同感することは、外務大臣として不見識も甚だしいものと言わねばなりません。(笑声、「答弁]と呼ぶ者あり)第二に興味深く思つたことは、外相の言動が、アメリカの出先機関にふさわしく、粗雑と衝動性を露呈して、恐怖と不安をかき立てようとした点でございます。(「その通り」と呼ぶ者あり)それは、半面東条内閣時代において、白か黒かを国民に強要し、戦争挑発を企らんだ言動を思わせるものがあつたことを、甚だ遺憾と申さねばなりません。(拍手)戦争危機の現実的条件は米ソの対立にあることは言うまでもございませんが、この対立の責任はソ連の革命方式にあるのみではございません。その侵略的性格を誇大に宣伝して恐怖と不安を募らせたアメリカの外交政策がその一半を負わなければならないことは、先ほども申した通りであります。戦争危機の現実的条件はこれのみではございません。西欧の植民地政策もその一つであり、帝国主義的侵略による世界の経済的不均衡、即ちアジアの貧困やアフリカの貧困も挙げなければなりません。これらの現実的な条件の克服なくして世界の平和の維持と安全を期することはできないのでございます。而してこれらの諸条件を克服するには、向ソ一辺倒や向米一辺倒ではできないのでありまして、いずれにも付かない中立的第三勢力の拾頭を促進しなければなりません。
 岡崎外相の言明によると、これらの中立的第三勢力が世界に存在しないような印象を与えましたが、詭弁も甚だしいと申さねばなりません。今年初頭、ビルマのラングーンで開かれたアジア社会党大会において、インド、ビルマ、インドネシアの三国は、その発言において、明かに中立的立場を表明いたしておるのであります。かような第三勢力は、英国においても、フランスやドイツにおいても、力強く拾頭しておるのでありまして、最も興味の深いのは、ソ連と国境を隣りにするフインランドも、スエーデン、ノールウェーも、北大西洋条約に参加することを拒否して、中立的立場を堅持していることであります。然らばこれらソ連に隣接する国々が何ほどの軍備を持つておるかと申すならば、フインランドは陸軍三万四千人、海軍四千五百人に過ぎません。スエーデンは常備軍六万、ノールウエ一は平時の常備軍がなく、毎年二万二千人の青年を召集訓練しているのみであります。アメリカはノールウエーとデンマークに軍事基地の貸与を求めたのでありますが、両国ともこれを拒絶している実状を我々は大いに学ぶべきだと思います。(「そうだ」と呼ぶ者あり)若しソ連が一部の人々が宣伝するように侵略の常習犯であるならば、軍備の乏しいこれら北欧の国々を侵冠占有することは朝飯前の仕事と申しても過言でないでありましよう。(「そうだ」と呼ぶ者あり)小国がその安全保障のために大国に頼ることの危険は、フインランドの実例がよくそれを教えております。ドイツの懐柔と威圧に屈して軍事同盟を結んだ結果、フインランドは、第一次、第二次世界大戦でも敗れて、国土さえ失つておるのであります。この苦い経験がフインランドをして北大西洋条約に参加することを拒絶させたのであります。これに反して、スエーデンは飽くまで中立を守つた結果、今日の繁栄をみているのであります。私はここで、実存作家として有名なフランスの小説家サルトルが、フランスが一時ドイツに占拠された時レジスタン運動に参加した経験から、日本に寄せた友情のこもつた戒告を、皆さんにお伝えしたいと存じます。「中立政策は戦争を避けるためになされるものだ。国防にとつて現実的な条件、即ち侵略者に対抗する大多数の日本人に必要な精神統一ができる。日本の弱さの真の原因は、非武装にあるのでなく、その心情のうちにある。即ち外国に、もたれかかろうとする心情、アメリカに対する追従であり、国内の腐敗である。中立政策はこれに反対するものだ」、かように申しておるのであります。これに反して岡崎外務大臣の演説は、アメリカの出先機関にふさわしく粗雑であり、衝動的であり、中立を嘲つて戦争を誘発するに等しい危険千万な発言と言わねばなりません。(拍手)以上に対する外相の所見を伺いたいと存じます。
 再軍備に対する質疑応答は、今日においてはもはや愚問愚答の繰返しに過ぎない段階にあると思います。    〔議長退席、副議長着席〕  にもかかわらず、それが未だに繰返されるのは、衣の袖から鎧がしばしば覗かれるためであります。このことは、キヤメラ班にコツプを投げ付けるほどに一徹短慮、よく言うと正直な総理の性格のなす業でありまして、再軍備はいたしませんという唇の乾かぬうちに、保安隊の幹部に、諸君は新国軍の土台であると言つたり、国民の愛国心が高まつて軍備を必要としたときにこそ再軍備すべきだなどと揚言するために、未だに愚問愚答が絶えません。今日見るところの保安隊は「おたまじやくし」ではなく、蛙であります。もはや保安隊でなく、海軍であり、陸軍であります。このことは、総理が何と言おうと、保安隊の各員がそれを肯定することによつて明らかであり、国民ひとしく軍隊と見ているのであるから、再軍備の質疑応答はもはや愚問愚答と言わざるを得ないのであります。だが再軍備問題は、現実に再軍備を進めていながら再軍備をしないという、憲法を無視して顧みない憲法違反と、国民を愚弄して憚らない倫理の蹂躪と、世界を滿着して恥じない国際信義の背反にその所在を替えたと見るべきでありましよう。このことは、国際信義に背いて国連を脱退し、フアシズムと手を結んで侵略戦争に国民を駆り立てた諸方情報局総裁時代を彷佛させるものがあるのであります。(拍手)かように日本を虚構の泥沼に埋没させつつあるその発端は、講和条約の締結であり、それと不可分の行政協定であることは言うまでもございません。総理は、自由党大会の演説会で、国会の反対を受けても行政整理を断行すると、国会無視の言辞を吐きながら、二つの条約については、国会が多数を以て承認したのであるから非難を受ける理由はないなどと嘯いているのであります。(笑声)
 二つの条約を結んで総理が第一に国民を欺いたことは、これらの二つの条約が和解と信頼によつて結ばれ、それによつて日本は占領から解放されて独立国家となるということでありました。我々は、共産党諸君の言うように、日本の現状をアメリカの植民地とは思いませんが、アメリカの従属国であることは明らかな事実でありまして、(「どこが違うのだ」と呼ぶ者あり)国民一人として完全な独立国家と思う者はなかろうと思います。(「区別はどこにあるのだ」と呼ぶ者あり)その最もよい例は、行政協定によつて、歴史に類例を見ない軍属、家族を加えた治外法権を認めたことであります。アメリカ裁判の実態が如何なるものであるかは、東京都西多摩郡T村の小学校の教員川北豊子の事件によつても明らかであります。その真相は昨年の十一月号の雑誌「文芸春秋」に暴行裁判秘録として詳しく載つているので省略しますが、一人の女教員が白昼ジープに乗つて来た二人の米軍に強姦された事件であります。その裁判の結果はどうなつたかというと、強姦した二人の米兵が無罪となり、彼女は抹殺されたということであります。行政協定による治外法権は、かような無残な哀史を幾ページとなく残して、読む人の涙によつて濡らされるでありましよう。
 第二に、総理が国民を欺いた例証は、軍事基地は絶対に提供しないと言いながら、六百十三の基地や施設をアメリカに与えたことであります。発表された当時の文章では、駐留軍に提供する施設区域と謳つておいて、無期限三百一、一時三百十二となつております。軍港や飛行基地は軍事基地ではないのでありましようか。施設、区域と巧みに逃げて国民の目を欺こうとしておりますが、軍港や飛行基地が軍事基地でないと言う者があつたとするならば、精神異常者と見て松沢に送り込んでも差支えなかろうと思います。(拍手)総理が次々と嘘を言うので、閣僚諸君もそれにならつて嘘をつきます。(笑声)戦車を特車と呼んだり、フリゲート艦を船舶と呼んで詰問されると、以前は何であろうとも、日本では船舶として使うからでありますと、岡崎外務大臣は、しやあしやあした顔つきで答えているのであります。若し船舶に使うのであるならば、フリゲート艦なぞ借りないで、船舶を借りて来るのが当然でありましよう。中には正直な閣僚もおつて、ジエツト機や原子爆弾を持つていても、それを使わなければ戦力ではないなどと名答弁をいたすので、虚構のメツキが一遍に剥げてしまうのであります。
 第三に総理が国民を欺きつつあるのは、言うまでもなく再軍備であります。昨年予算委員会で予算を通じて再軍備が論じられたとき、国民所得を五兆三百億円とするならば、防衛費は僅かにその三・五%に過ぎない。こんな僅かな防衛費で再軍備はできるものではないと数字を挙げて否定しましたが、これも数字の魔術を借りて国民を欺いた一例でございます。英仏の防衛費一〇%六に比べると、日本の三%五の数字は一見少いように思われますが、その国々の生活水準を無視しての比較では当を得ないことは言うまでもございません。日本人一人当りの平均所得は、一九五一年には、年およそ五万六千円でございましたが、英国人は二十四万円でありますから、日本人所得の四倍となつております。従いまして、軍事費の負担が同じく一割としましても、英国人に比べて日本人が深刻な打撃を受けるのは当然でありましよう。又主食の面から考えてみても、日本における当時のエンゲル系数が五五%を上下していたのに対して、米英では三〇%から三五%程度であります。日本人の所得はアメリカ人の十分の一、英人の四分の一以下であり、その上、所得の半分以上食費に食い込まれる現状を思うならば、先のような放言はできないはずであつて、数字の魔術を借りてまで再軍備を糊塗しようとした一例と見るべきでありましよう。
 もはや政府が如何に強弁しようとも、保安隊は陸軍であり、海軍であります。かように国民を欺き、倫理を饒蹂躪しておきながら、教育の刷新を図り、国民道義の高揚を図ろうとしても、国全体が虚構の泥沼に埋没しつつある現状において、到底なし得るものではございません。この欺禰によつて国際信義を失いつつある例証は、「日本の再軍備は妊娠何カ月の状態にある」云々の国際的な冷笑と、通商や、賠償交渉や、日本の軍国主義の再現を恐れる言動にも現われていると言えましよう。ビルマの商談が失敗したのもそのためであり、インドネシアとの賠償交渉が決裂したのも日本の誠実に疑いを持つためで、再軍備しながら再軍備しないと偽わるので、一層日本の軍国主義の再現を恐れるゆえんであります。
 今や吉田内閣は、第四の虚構を国民に押付けようと、虎視眈々準備を重ねているようであります。即ち、アメリカに忠誠を示して、平和憲法を改正し、憚るところなく軍備を拡張しようとする狙いであります。今回の予算を表面だけで見るならば、前年と比べて防衛費は幾分減少を見せていますが、軍事道路や飛行基地周辺道路の新設、港湾設備の新設、輸送貨車の新造等々の隠れている防衛費、前年度の防衛費の剰余金や軍人恩給等を加えますならば、三千億円に上るであろうと患われます。従つて、今回の予算は憲法改正を意図するところの軍事的性格を多分に持つものと言わねばなりません。更に政府が今回の国会に提案しようとしている警察制度の改革や労働法の改悪、義務教育費の全額国庫負担等の一連の法案も、基本的人権を抑圧し、反動的な倫理を国民に押し付けて、憲法改正を有利に導こうとする魂胆であることは明らかであります。
 今や吉田内閣は、自由党の見苦しい内紛を反映して、いよいよ末梢的症状を呈するに至りました。それは、国民を欺き、虚構を重ねたためであり、恐怖におびえて政治的諸関係の現実に対して盲目になりつつあるからであります。私は、平和憲法改正に絶対反対すると同時に、吉田内閣の退陣を求めて、私の質問を終ります。(拍手)