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秋高連ふるさと訪問団・県中央編

2018/06/28,29

在京田県等学校同窓会合会(秋高連)の第7回ふるさと訪問が6月28日と29日に行われた。ふるさとを応援の目的で年毎に県北・県央・県南に分けて実施しており、今回は秋田市内の高校、企業などを訪問。

卒業生の多い県中央のため、当初30名の募集だったが希望者が多く総勢40名の参加となった。
参加総数40名の出身校内訳は、大館鳳鳴(1)、横手(4)、秋田(2)、能代工(1)、雄物川(1)、秋田工(10)、秋田中央(1)、角館(3)、秋田南(2)、秋田北(6)、大曲工(2)、秋田商(3)、横手工(3)、由利工(1)


初めての訪問団参加で、過密スケジュールと思ったがそれぞれの訪問先で歓迎され丁寧な説明を受けた。途中アクシデントもあったが、関係者によって無事乗り越えることが出来た。

母校訪問は高校時代を想い出させるとともに半世紀以上経た時代の変遷を感じさせる。神社では郷土の伝説と歴史を学び、泊まった山荘で温泉に浸り秋田の味を食した。ガラス工房では地域密着の若い芸術家の心意気を感じた。故人となった先輩のラグビーに対する想いに触れた。バイオマス発電事業の新しい地場産業を知った。新築された秋田市役所で最新の防災設備などを見学した。内容の濃い2日間であった。

写真・ 記事 赤川均 (S41E)

日程 *click:直接リンク

秋田県立秋田北高校

明治34年女学校として創設。平成20年から男女共学となった。

卒業生数34,718名、生徒数714名(男179名 女535名)。進学率95%。

同窓会は紐の結びを表している校章からの由来であげまき会と称している。

正門。石碑には校歌が刻まれている

伊藤雅和校長挨拶

樋口ルミ子あげまき会会長

翌日から始まる文化祭の練習

囲碁は全国大会出場レベル

校長、同窓会長と今回の訪問団のOG(男性はOGの奥様が都合がつかず代わって参加)

秋田県立秋田工業高校

明治37年創設。「質実剛健」を校訓としている。学年生徒数: 機械科(70名)、電気エネルギー科、土木科、建築科、工業化学科は各35名。

数年前から校舎の大規模改築が進められており、当初の計画から1年遅れて来年完成する予定。

卒業生進路: 就職:県内55名、県外77名、公務員17名。進学:国公立5名、私立32名、専門学校22名。(平成29年度)

高校ラグビー全国大会優勝15回。2025年にラグビー部は創部100周年を迎える。

入口右手にある展示室

土方巽 : 暗黒舞踏創始者 1946年(昭和21年秋工電気科卒)

金子洋文 : 日本プロレタリア文学の祖といわれる『種蒔く人』を発刊した一人、1913年(大正2年)秋工機械科卒

辻村豊昭(昭34電)氏と高校ラグビー全国優勝したときのタテ(辻村氏は2度の優勝メンバー)

第12代と第13代校長の時(昭和38年~41年)に在学

有坂俊吉校長

多目的運動場整備

植物工場レタスの生産

ラグビー場

千秋公園 秋高連記念植樹撮影・佐竹資料館

第59回全国植樹祭の年平成20年6月16日に秋高連植樹の桜

秋田市立佐竹資料館

別室は撮影禁止

唐松神社(大仙市協和)

秋田市から南下した頃には激しい雨。増水した岨谷峡散策は中止にし、唐松神社に立ち寄ることにした。到着した頃には小降りとなった。 古来より安産と子授けの神様として親しまれている神社。樹齢300年を超えるといわれる参道の杉並木。 境内を進むと下り階段があり、それを降りた先に本殿があり珍しい造り。

強い雨が降り急遽予定を変更して訪れたにも係わらず宮司が神社の扉をいったん閉じた後開けてくれた。

樹齢300年を超えるといわれる参道の杉並木

宮司の物部氏は秋田県の教育関連に携わっていたとのこと

鈴の神社ともいわれている

参道手前左に行くと「唐松山天日宮」(からまつさんあまつひのみや)があった。

お宮の裏手に触れると願い事がかなうといわれる石がある

からまつ山荘東兵衛温泉(大仙市協和)

国道13号線から離れ大仙市協和スキー場方面に向かって少し行ったところにある温泉。昔、銀山を掘り当て長者となった東兵衛という人が住んでいた屋敷が山荘の別邸になっている。 東兵衛屋敷には座敷わらしが出る、と有名になり、フジテレビが取材にきて2日間カメラを設置し夜中に人形が動いたという。座敷わらしを見た人には幸福が訪れるという。

温泉に入った後、宴会となった。アユの塩焼きや比内地鶏の親子丼、きりたんぽなども出され、料理はおいしかった。

この日サッカーワールドカップの予選リーグ日本の最終戦ポーランドの試合があり、1時過ぎまで観戦した。

東兵衛屋敷の柱

(創作童話)

東兵衛屋敷

 昭和63.7.25

 文 しんどうこういち

いまから四百年程前の話である。

協和町船岡の奥、大川前という山深いところに東兵衛という男が住んでいた。

彼は一年中野山をかけめぐり山の幸をとりくらしをたてていた。大川前は自然の恵が富かで春には山菜、夏には川魚、秋には茸や栗の実、冬になると野兎や熊などが獲れ平和で くらしやすいところであった。

そんなある雪の降るタ方、琵琶を持った一人のみすぼらしい修験が東兵衛の戸口をたた いた、道に迷ったので今晩一晩泊めてくれないかという、人のよい東兵衛夫婦は、日も暮れたことでもあるしまた寒いなかこれからどこへ行くあてもないだろうと熱い栗飯を出し旅の修験に一夜の宿をあたえた。

修験の話によると彼は庄内にある寺の修験で、この地に布数に来たが道に迷いこみ大川前まで来てしまったという。その翌日修験は風邪をひいたのか高い熱を出し寝こんでしまった。しかし何日経っても修験の熱は下がる気配はない。東兵衛夫婦は気の毒に思い、もしよかったら春まで滞在し気長に病気を治したらとすすめた。そのような状態が何日か続 いたあと、床に伏して水を飲んでいた修験はこの山奥に鉱山があることを告げた。修験の話によると沢水の中に金気が含んでいるということであった。しかし鉱石のありかを確実に探しだすにはスッポンの生血が必要だという。修験は布教や祈祷するほか鉱山を開発する技術を持っていた。だが修験の病は春になっても治る気配はなかった。

東兵衛は修験の話を聞きスッポンを探しにでかけることにした。東兵衛は老骨に鞭うち 、遠く庄内まで足を運びようやく生きたスッボンをつれて帰ることができた。

東兵衛が旅から帰ったころ修験の病気はしだいに快方へと向っていた。修験は自分を助けてくれたお礼にと病み上がりの体をものともせず東兵衛をつれて大川前の上流へと出かけた。大川前の山は意外に険しく川のあちこちには急流が渦まいていた。修験は連れてき たスッポンの生き血を布きれに垂らし反応を見ながらようやく鉱石のありかを探しあてた。その鉱石は銀鉱石であった。二人は大喜びで山を下ったが途中大淵まで来たとき修験は足をすべらし水死してしまった。東兵衛は修験の死を深く悲しみ、修験が大事にしていた琵琶とともに亡骸を小高い丘の上に葬った。

その後銀山は大いに栄え鉱山を探しあてた東兵衛は大金持ちになった。さらにこのことを知った藩では東兵衛に多くの金を与え鉱山を買収しこれを藩の直山にした。しかし大金持ちになったはずの東兵衛は喜ばなかった。いくら金を貯めても子どものいない東兵衛には金は何んの役もなさなかった。年老いた東兵衛はどんな財宝よりも子どもが一番の宝物であることを知った、

数年して東兵衛夫婦は相次いでこの世を去り彼の跡はすべて絶えてしまった。いま地元の人たちは彼の住んでいた場所を東兵衛屋敷と呼んでいる。そしてその屋敷跡には金が隠されていると言う話も伝えられている。またこの鉱山は後に銅山となり亀山盛銅山と呼ば れたが、亀山という地名はかって修験が鉱石を探したとき一匹のスッポンが逃げてこの山に棲んだことからこの名がある。さらに大川前に琵琶のハンジョウという小山があるがここは修験の遺骸の埋葬したところという。(Google OCR+校正)

進藤孝一 : 1934年秋田県生まれ。 日本民俗学会会員、山村民俗の会会員、日本鉱業史研究会会員。 著書に『荒川鉱山史』『宮田又鉱山史』(協和町刊)『大盛』(大盛小学校百年祭実行委員会刊・共著)『協和のものがたり378』(みしま書房刊)『秋田「物部文書」伝承』(無明舎出版)などがある。


源泉かけ流しの風呂に入ったあと40人の宴会となった。

座敷わらしが出るという部屋に泊まった。

からまつ山荘東兵衛温泉・2日目

翌朝、廊下のおもちゃが元の位置から移動していた。座敷わらしが遊んだのかもしれない

秋田犬大雅君五か月。プーチン大統領に送られた秋田犬と兄弟という

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新屋ガラス工房見学(秋田市新屋)

地域密着型のモノづくり拠点として平成29年7月15日にオープンした。

子供たちの作品

ショップ

「風にそよぐワイングラス」。2017年NHKの番組から依頼され秋田公立美術大学小牟禮教授が製作。「ヴェネチアン・グラス」として知られるイタリアのガラス職人で「ガラスの魔術師」とも称されるジョゼッペ・バロビエールが1895年に発表し、あまりに繊細な構造から120年間にわたり復元が不可能とされてきた。

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秋田酒造株式会社訪問

新屋元町の秋田酒造株式会社訪問。純米大吟醸酔楽天、純米酒秋田晴れなど製造販売

故佐藤忠男元校長宅ラグビー資料展示室見学(秋田市新屋日吉町)

佐藤忠男氏が生前集めた新聞記事のスクラップブックや蔵書などを中心にして、妻良子さんが自宅の物置を改造して収めた。

佐藤忠男 : 昭和4年新屋愛宕町生まれ。昭和19年秋田工業学校電気科入学。ラグビーを始めた。26年早稲田大学卒業、母校秋田工業高校の教師としてラグビー部のコーチ、監督、部長を務めた30年間に全国高校ラグビー大会で8回全国優勝。国体12回優勝。63年から平成2年まで秋工校長を務めた。平成18年10月26日永眠。

秋田工業高校旧校舎

「写真は秋田工対盛岡工決勝戦後半23分秋田工右WTB辻村自陣ルーズから25メートル独走タッチラインに好パントをあげる」(昭和34年1月10日秋田魁新報) スクラップブックより辻村氏に探していただいた

秋工ラグビー部は2025年に創部100周年を迎える

良子夫人

秋田市立秋田商業高校

大正9年秋田市商業学校として開校。

平成30年現在の在校生714名(男313名、女401名)。2年生から、会計コース、流通経済コース、情報コースのコース制。

平成27年~29年度卒業生進路 : 進学63.3% 就職35.6%(県内80%)。

県内有数のスポーツ校。レスリングのオリンピック金メダリストなど輩出している。

雄水会会長あいさつ

生徒会長(野球部選手) 歓迎の言葉

サッカー場

総合情報処理室

秋田ポートタワーセリオン

昼食の後のわずかな時間に地上100メートル展望より秋田港

平和公園方面

この方角に、地上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」(地上イージス)の配備候補地がある

秋田城跡出土品収蔵庫見学

秋田市立秋田城跡歴史資料館が正式名称らしい。秋田城は奈良時代から平安時代にかけて置かれた地方官庁。

井戸跡の井筒

鎧の出土

復元した鎧

企業訪問 ~ユナイテッドリニューアブルエナジー~

秋田市向浜に平成25年に設立された、県内の山林などの未利用材をチップにしたもの(7割)と、インドネシア・マレーシアのパーム椰子殻(3割)を燃料にしたバイオマス発電の会社。

秋田県林業の活性化と発電・チップ製造などによる雇用創出を図る。

発電端出力:20,500.0kW 送電端電力:17,400kW。東北電力などに売電する。資本金30百万円。従業員30名(平成29年3月31日現在)

秋田市役所市長表敬訪問

昨年新庁舎が完成した市役所入口で穂積市長・佐藤教育長に出迎えられ、市議会議場に案内された。議員席に座った。災害対策室を見学。

市議会議場で穂積市長・佐藤孝哉教育長

冨樫博之国会議員(秋工卒)が帰秋の途中立ち寄った。今回の訪問では大変お世話になった。

災害対策本部室。モニターには県内の河川等の様子がリアルタイムに映し出される

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