秋工同窓会
各 位
秋工ラクビー後援会の船木です。
「日本ラクビーをけん引平尾誠二さん死去53歳(秋工出身者からも惜しむ声)」を紹介させていただきます。
ラグビー日本代表の不動の司令塔として活躍し、「ミスター・ラグビー」と称された神戸製鋼ラグビー部の平尾誠二ゼネラルマネジャー(GM)が2016年10月20日、死去した。53歳だった。最近は闘病生活を送っていた。
史上初の日本開催が決まっていた2019年のラグビーワールドカップ(W杯)を前にした突然の訃報に、ネット上では「W杯が待ってたのに」などと悼む声が相次いだ。平尾氏は、W杯日本大会の組織委員会理事と事務総長特別補佐を務めていた。
平尾さんが主将を務めた日本代表は1989年5月秩父宮ラクビー場で行われたテストマッチで、強豪スコットランド代表を破る金星を挙げた。平尾さん、太田治さんと共に出場した吉田義人さんは前半18分平尾さんからのパスを受けると中央付近を独走、自らキックしたボールを再度つかんで最初のトライを奪った。
◎太田治さん51歳(日本ラクビー協会トップリーグ委員会委員長:秋工→明治大→NEC→日本ラクビー協会):
平尾さんは同協会のトップリーグ担当理事を務めており約2か月前までメールでやり取りをしていた。日本のラクビー界にとって大きな存在だった。プレーはもちろん、言葉でもチームをまとめる力があった。2019年ラクビーワールドカップ(W杯)を控え、強い発信力を発揮してもらいたかった。
◎吉田義人47歳(サムライセブン代表:秋工→明治大→伊勢丹→フランスUS コロミエ→三洋電機→福岡サニックス→横河電機HC→明治大監督→さむらいジャパン代表):
自分が代表入りした当時のスターが平尾さん。合宿や海外遠征では
いつも一緒の部屋で、公私ともによくしてもらった。言葉にならない。誰よりも本人が無念だと思う。残された後輩が団結して、19年W杯を成功させ、日本ラクビーの素晴らしさを世界に伝えなければならない。
太田治経歴: 日本ラグビーフットボール協会7人制日本代表チームディレクター
現役時代のポジションはプロップ(PR)。
日本代表キャップは27。
秋工から明治大学へ進学し、3年時には、全国大学選手権優勝に貢献。4年時には日本代表に選出、1986年のアメリカ戦で初キャップ。
卒業後の1987年、日本電気に入社。1990年から2年間は主将。
日本代表としては宿澤広朗監督の下、1989年5月28日のスコットランド戦での歴史的勝利、1991年W杯初勝利に貢献。1995年W杯にも出場。
2000年、NECグリーンロケッツの監督に就任。2002年度の日本選手権優勝に導く。
トップリーグ参戦に伴い、2003年副部長に就任。マイクロソフトカップ初代王者、2004年度日本選手権優勝。
2005年、日本代表の新体制移行に伴い、初代ゼネラルマネージャーに就任。
2006年 ジャン=ピエール・エリサルドヘッドコーチ解任を受け、W杯アジア最終予選でヘッドコーチ代行。NECグリーンロケッツ時代のチームメイト・友人である、元オールブラックスウィングのジョン・カーワンを、新ヘッドコーチに招聘した。
2012年、ラグビー日本代表ゼネラルマネージャーを退任し、日本ラグビーフットボール協会7人制日本代表チームディレクターに就任。
吉田義人経歴: 男子7人制ラクビーチーム「さむらいセブン」代表
秋田県男鹿市出身。
現役時代のポジションはウィング(WTB)。
日本代表キャップは30。
男鹿東中時代に東日本中学生大会優勝。 秋田工業高校では1年時からレギュラーとなり全国制覇。 高校3年夏には高校日本代表としてニュージーランドに遠征。高校ニュージーランド代表とも対戦。
北島忠治監督は吉田を明治の八幡山グラウンドで一目見て「これは将来の日本を背負う逸材だ」と見抜く。
1987年に明治大学に入学。1年からレギュラーで活躍。
1988年には19歳で日本代表に選出、オックスフォード大学戦で代表デビュー。
1989年の対スコットランドXV戦(秩父宮)では相手陣を一気に駆け抜ける圧巻のトライを挙げるなど歴史的勝利に貢献。
1990年明大4年時には主将となる。第27回大学選手権決勝で早稲田大と対戦。後半26分に逆転トライを決め、明大を2年ぶり8回目の大学日本一に導く。1990年代の明治黄金時代は吉田の奮闘によるものが大きく、吉田を明治史上最高のキャプテンと評価する声が多い。
1991年伊勢丹に入社。同年イングランドで開催された第2回W杯に出場。ジンバブエ戦では2トライを挙げるなど日本代表のW杯初勝利に貢献。
1992年ニュージーランドラグビー協会100周年記念試合でニュージーランド代表(オールブラックス)とテストマッチで対戦する世界選抜に選出。トライを挙げる。当時、ニュージーランド代表とテストマッチで対戦した史上初の日本人。
1996年イングランドラグビー協会125周年記念試合に出場。
2004年3月28日オール早明戦(秩父宮)で引退。
横河武蔵野アトラスターズのヘッドコーチ、ディレクターを経て、2009年4月に明治大学ラグビー部監督に就任。
現在男子セブンズ「さむらいセブン」代表
参考:
〇「ミスター・ラグビー」と称された平尾誠二死去:
〇NHKが23日に平尾氏追悼番組 “伝説の名勝負”振り返る
〇平尾誠二さん追悼番組 伝説の名勝負を再び「新日鉄釜石×同志社大学」
以上
船木政秋氏 (秋田在住S44K)