秋工同窓会
各 位
秋工ラクビー後援会の船木です。
「 付き合い長い恩人「映画」落合博満さん(秋工出) 」を紹介させていただきます。
映画がなかったら、どうなっていたのか。いきていたのか、死んでいたのかわからない。
映画は野球より付き合いの長い人生の恩人という、筋金入りのファンなのである。
唯一の娯楽が映画という時代に幼少期を送り、中学を卒業する時に見た「チキ・チキ・バン・バン」は洋画鑑賞の出発点になった。
秋工時代は練習がいやで「学校をさぼって、どうやって時間をつぶそうかという時に入り侵っていたのが映画館だった。そのおかげで、道も外れず済んだのだとも。
25歳のプロの世界に入った後も途切れることはなかった。何も考えたくない時や、家族水いらずの休日。暇を見つけてはリフレッシユを兼ねて行く、一番身近な存在だった。女房と子供と3人で、1本見てから昼飯を食べる。その後、別の映画を見て、食べて帰る。1日に必ず2本、3本見ていた。じっくり作品を味わえた時代。うまく時間を過ごして、生活にめりはりをつけられた。その最良の方法だった。
「今は家のテレビで見たい作品を好きな時に見られる。こんなぜいたくなことはない」
仕事を辞めてからこんなに落ち着いた時間ってない。それでも月数十本、4~5本1日に見る日もある。いい映画よりすごい映画に出会いたいものである。
(人生を豊かにするもの
・・・秋田魁しんぶん2017.08.18)
落合 博満(おちあい ひろみつ)紹介:(1953年12月9日 - ):日本の元プロ野球選手(内野手。右投右打)。2013年シーズンオフから2017年1月までは中日ドラゴンズのゼネラルマネージャー(GM)。秋田県男鹿市若美町出身
選手時代は1979年から1998年にかけてロッテオリオンズ、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツ(巨人)、日本ハムファイターズに在籍し、日本プロ野球史上唯一となる3度の三冠王を達成。2004年から2011年まで中日の監督として指揮を執り、すべての年でAクラス入りを果たし、4度のリーグ優勝、1度の日本一を達成。
タイトル
首位打者:5回 (1981年 - 1983年、1985年、1986年)※右打者のパ・リーグ記録
本塁打王:5回 (1982年、1985年、1986年、1990年、1991年)※両リーグ本塁打王は史上初
打点王:5回 (1982年、1985年、1986年、1989年、1990年)※両リーグ打点王は史上初、現在も唯一
最多勝利打点:5回 (1982年、1985年、1988年、1989年、1993年)※受賞5回は史上最多、1989年と1993年は特別賞
最高出塁率:7回 (1982年、1985年 - 1988年、1990年、1991年)※受賞7回は歴代2位、右打者歴代1位
表彰
MVP:2回(1982年、1985年)※優勝チーム以外から2度以上の選出は王貞治(1964年、1974年)に続いて2人目
ベストナイン:10回(1981年、1982年=二塁手 1983年、1988年、1990年、1991年=一塁手 1984年 - 1986年、1989年=三塁手)
月間MVP:6回(1985年9月、1986年5月、1988年8月 野手部門:1989年8月、1990年5月、1991年8月)
オールスターゲームMVP:2回(1983年第3戦、1995年第1戦)
日本プロスポーツ大賞:1回(1982年)
優秀JCB・MEP賞:1回(1990年)
IBMプレイヤー・オブ・ザ・イヤー賞:1回(1991年)
正力松太郎賞:1回(2007年)
野球殿堂競技者表彰(2011年)
最優秀監督賞(セ・リーグ連盟特別表彰:2011年)
記録
最多安打:1回 (1982年)※当時連盟表彰なし
日本記録シーズン得点圏打率:.492(1985年)
シーズン出塁率:.487(1986年)※NPB公式での日本記録。ただし、出塁数を採用していた時代のセリーグの記録に遡ると1974年王貞治の.534が日本記録となる。
1試合6四球(1991年10月13日)
パ・リーグ記録シーズン打点:146(1985年)
シーズン長打率:.763(1985年)
初記録初出場:1979年5月29日、対南海ホークス前期8回戦(川崎球場)、7回裏に新井昌則の代打として出場
初先発出場:1979年5月30日、対南海ホークス前期9回戦(川崎球場)、7番・三塁手として先発出場
初安打・初打点:同上、6回裏に森口益光から
初本塁打:1979年5月31日、対南海ホークス前期11回戦(川崎球場)、3回裏に山内新一から3ラン
節目の記録100本塁打:1983年8月31日、対阪急ブレーブス20回戦(阪急西宮球場)、9回表に山沖之彦から左越先制3ラン ※史上127人目
150本塁打:1985年5月5日、対南海ホークス4回戦(川崎球場)、5回裏に大久保学から ※史上75人目
200本塁打:1986年5月31日、対阪急ブレーブス8回戦(川崎球場)、2回裏に今井雄太郎から中越先制ソロ ※史上48人目
250本塁打:1987年5月19日、対読売ジャイアンツ7回戦(ナゴヤ球場)、6回裏に西本聖から中越2ラン ※史上27人目
1000本安打:1987年6月2日、対横浜大洋ホエールズ9回戦(ナゴヤ球場)、7回裏に高橋一彦から左越ソロ ※史上148人目
1000試合出場:1988年5月14日、対読売ジャイアンツ7回戦(ナゴヤ球場)、4番・三塁手として先発出場 ※史上276人目
300本塁打:1988年10月2日、対阪神タイガース23回戦(ナゴヤ球場)、3回裏に仲田幸司から右越決勝ソロ ※史上19人目
350本塁打:1990年5月8日、対阪神タイガース3回戦(浜松球場)、3回裏に嶋尾慶一から左越先制3ラン ※史上14人目(歴代2位の1257試合で到達:当時史上最速、後にアレックス・カブレラが更新)
1000打点:1990年6月12日、対広島東洋カープ9回戦(広島市民球場)、9回表に高木宣宏から右越3ラン ※史上21人目(歴代最速の1284試合で到達)
1500本安打:1990年9月5日、対読売ジャイアンツ22回戦(東京ドーム)、9回表に桑田真澄から左越3ラン ※史上59人目
3000塁打:1991年6月30日、対読売ジャイアンツ10回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に香田勲男からソロ ※史上30人目
400本塁打:1991年8月30日、対広島東洋カープ15回戦(広島市民球場)、4回表に金石昭人から中越ソロ ※史上11人目
1000得点:1992年4月26日、対阪神タイガース5回戦(ナゴヤ球場)、3回裏に中込伸からソロ本塁打を放ち達成 ※史上24人目
1500試合出場:1992年5月4日、対広島東洋カープ3回戦(ナゴヤ球場)、4番・一塁手として先発出場 ※史上101人目
3500塁打:1993年8月15日、対読売ジャイアンツ18回戦(東京ドーム)、8回表に橋本清から単打 ※史上18人目
450本塁打:1993年8月18日、対ヤクルトスワローズ18回戦(ナゴヤ球場)、6回裏に川崎憲次郎から先制決勝2ラン
300二塁打:1994年4月16日、対ヤクルトスワローズ2回戦(東京ドーム)、7回裏に内藤尚行から ※史上31人目
2000本安打:1995年4月15日、対阪神タイガース2回戦(東京ドーム)、6回裏に久保康生から左越ソロ ※史上27人目
1000三振:1995年10月8日、対広島東洋カープ27回戦(東京ドーム)、2回裏に紀藤真琴から ※史上21人目
4000塁打:1996年5月18日、対ヤクルトスワローズ7回戦(東京ドーム)、2回裏にテリー・ブロスからソロ本塁打を放ち達成 ※史上11人目
2000試合出場:1996年5月29日、対ヤクルトスワローズ10回戦(東京ドーム)、4番・一塁手として先発出場 ※史上29人目
500本塁打:1996年7月3日、対ヤクルトスワローズ15回戦(明治神宮野球場)、6回表にテリー・ブロスから逆転2ラン ※史上7人目
1500打点:1996年8月27日、対広島東洋カープ21回戦(広島市民球場)、8回表に白武佳久から右前決勝適時打 ※史上7人目
オールスターゲームの記録オールスターゲーム選出:15回 (1981年 - 1991年、1993年、1995年 - 1997年)
オールスターゲーム通算打率:.365 ※100打数以上では、歴代1位タイ。
オールスターゲーム通算本塁打:11本 ※歴代4位
オールスターゲーム通算打点:27 ※歴代3位タイ
その他の記録三冠王:3回 (1982年、1985年、1986年)※史上最多
シーズン得点:118(1985年)※右打者のパ・リーグ記録
シーズン塁打:351(1985年)※右打者のパ・リーグ記録
シーズン打率3割以上:11回(1981年 - 1987年、1989年、1991年、1995年、1996年)※歴代5位タイ、右打者歴代1位タイ。1996年は43歳になる年での達成で史上最年長記録。
シーズン50本塁打以上:2回(1985年、1986年)※歴代2位タイ
シーズン打率.360以上:2回(1985年、1986年)※日本タイ記録、右打者では史上唯一
シーズン30本塁打以上:9回(1981年、1982年、1984年 - 1986年、1988年 - 1991年)※歴代3位タイ
17年連続シーズン100安打以上(1981年 - 1997年)※歴代4位タイ
2年連続シーズン50本塁打以上(1985年 - 1986年)※史上初
両リーグ1000安打以上(パ1096本、セ1275本)※史上2人目
両リーグ200本塁打以上(パ247本、セ263本)※史上唯一
5試合連続本塁打(1989年10月10日 - 10月14日)
通算打率:.3108(1979年 - 1998年)※右打者の日本人歴代最高打率、5000打数以上では右打者最高打率
通算出塁率:.422(1979年 - 1998年)※歴代2位、右打者歴代1位
通算長打率:.564(1979年 - 1998年)※右打者の日本人歴代1位
通算四球:1475(1979年 - 1998年)※歴代2位、右打者歴代1位
シーズン打率:.367(1985年)※右打者歴代3位
シーズン本塁打:52(1985年)※右打者の日本人歴代最多タイ記録
著書
『なんと言われようとオレ流さ』(講談社、1986年4月)
『勝負の方程式』(小学館、1994年6月)
『激闘と挑戦:巨人軍・落合博満が闘った奇蹟の136試合』(鈴木洋史共著、小学館、1995年6月)
『不敗人生:43歳からの挑戦』(鈴木洋史共著、小学館、1997年2月)
『野球人』(ベースボール・マガジン社 1998年12月)
『プロフェッショナル』(ベースボール・マガジン社 1999年11年)12月)
『落合にきけ!』( 朝日新聞社 2000年3月)
『コーチング:言葉と信念の魔術』(ダイヤモンド社 2001年9月)
『落合博満の超野球学(1):バッティングの理屈』(ベースボール・マガジン社 2003年5月)
『落合博満の超野球学(2):続・バッティングの理屈』(ベースボール・マガジン社 2004年3月)
『采配』(ダイヤモンド社、2011年11月)
『戦士の休息』(岩波書店、2013年8月)
『落合博満 バッティングの理屈:三冠王が考え抜いた「野球の基本」』(ダイヤモンド社、2015年7月)
『落合博満の超野球学(1)』『落合博満の超野球学(2)』を再編集したもの。
関連書籍
『奇跡を呼ぶ男落合博満物語』(綾野まさる著、小学館、1999年4月)
『落合戦記:日本一タフで優しい指揮官の独創的「采配&人心掌握術」』(横尾弘一著、ダイヤモンド社 2004年11月)
『落合博満変人の研究』(ねじめ正一著、新潮社、2008年4月)
『なぜ日本人は落合博満が嫌いか?』(テリー伊藤著、角川oneテーマ21、2010年5月)
『原辰徳と落合博満の監督力』(張本勲著、青志社、2011年1月)
『プロ野球にとって正義とは何か:落合解任と「プロの流儀」VS.「会社の論理」』(手束仁著、イースト・プレス、2012年3月)
『プロ野球にとって正義とは何か:落合博満と「プロの流儀」VS.「組織の論理」』(改題、文庫ぎんが堂)
『野村「ID」野球と落合「オレ流」野球』(川崎憲次郎著、KKロングセラーズ、2012年12月)
◎練習について(落合博満2017講演会より)
自分が監督時代に一番練習にまじめに取り組んだのは、荒木、井端、森野
それ以外の若い選手は全員逃げた。すぐこの場から逃げたいという姿勢だった。
この世界でうまくなろうという選手は、練習量が違う、目の色が違う。朝から晩まで練習していた
野球がうまくなるには、体力勝負。
荒木と(蔵本)ヒデノリは、能力は匹敵するものがあった。
ヒデノリは、体力がなかった。だからレギュラーになれなかった。キャンプになると食べれなくなり、1週間でベルト2つ細くなる。そのような体力では1シーズンもたない。
荒木に感謝することは「練習は嘘をつかない」ということを証明してくれたこと。
現役時代に王貞治さんに「練習は好きか?」と聞かれたことがある。「嫌いです」と答えた。
ただし、本当は誰よりも練習をやったという自負はある。
本当の練習は1人でやる練習。そこにどれだけ時間を使えるか。
チームの連携プレーの練習は必要だからやっているだけで、必要なことは練習ではない。
神主打法は、ひじが背中より後ろに入らないように、動作に遊びを入れながら、時間をかけて練習でつくっていった。
人に与えられた時間は少ない。先のことを考えずに、目一杯やること。そうやってみんな生きてきた。
外部リンク:
〇練習はうそをつかいない(落合博満2017講演会、神奈川県民ホール):
〇落合博満 画像:
秋工同窓生の皆様 落合博満さんの応援よろしくお願いいたします。
以上
船木政秋氏 (秋田在住S44K)