「日本一になるために」中村和雄ノーザンハピネッツ前ヘッドコーチが講演
(秋工ラクビー部のために)
2014/08/24
秋工同窓会 各位
秋工ラクビー後援会の船木です。
「日本一になるために」中村和雄ノーザンハピネッツ前ヘッドコーチの講演を秋工ラクビーOB会と秋工ラクビー後援会の共催で行いました。内容についてご紹介いたします。
3年前には弱小チームだった秋田ノーザンハピネッツをH25年度日本bjリーグバスケット準優勝に導いた中村和雄ノーザンハピネッツ前ヘッドコーチの講演会「日本一になるために」が19日、秋田工業高校と「ルポールみずほ」で開かれた。
秋工ラクビー部員・先生約70名と、監督・コ―チ、ラクビー後援会など約20名、合計約90名が耳を傾けた。
講演はラクビー部部員らを対象に、日本一になるために取り組む姿勢や、大学・社会に出てからのアスリートとして生きる姿勢などについて 秋工ラクビーOB会と秋工ラクビー部後援会が共催で企画した。
中村和雄さんの指導者講演会での講演内容について概略記述します。
中学生の時、秋工ラクビー部に高桑先生(コーチ‐監督‐部長‐校長)から誘われたこと。
当時の秋工は高校ラクビーで日本一強かった。
現在の秋田県はスポーツ立県ではない。天皇杯も39位である。何とかして強化が必要です。
中村のところに行くのは気をつけろ。大学出の日本人も、アメリカの選手にも言われていた。
何かあるとすぐ首が飛ぶぞ。厳しいコーチである。そのようにバスケ界では言われていた。
コートに入ったら氷つくような緊張感で仕事をしたい。秋田ノーザンハピネッツに入った当時は練習を見に来ていたハピネッツの会社の人間もコートで緊張感のない状態であった。そのような状態にさせていたのは選手でもあった。ヘッドコーチはいい選手を引っ張ってくることからすべてやらなくてはならない。
スタートで勝つ自信は常にあった。Bjが21チームあるが5人のヘッドコーチが教え子である。自分の下でのアシスタントコーチが他のチームでヘッドコーチをやるのは誇りなんです。
自分のチームで活躍していた選手が他のチームに行く時に高く売れていくことも誇りです。(日本リーグでコーチ退任時には3〜4倍の給料で選手が他チームに移っていった)
チームを作っていく上で中学生・高校生の指導者は一流は一流と組む。二流は二流と組む。そのほうがいごこちが良いから。強いチームと練習試合をしたらこてんぱにやられる。監督・コーチとしたら耐えられない。菅平での一流の高校と試合をして負けたのはそれでよい。指導者は恥をしのんで一流の処にいって負けるのは、指導者としては大変だが、耐忍ぶ、強いチームの監督・コーチの話をよく聞く。負けた原因はどこにあるのかよく分析する。それを又、練習に生かしていく。そのチームの何倍も練習をやれるようにする。そこが大事になってくる。
私のチームでは負けたら負けた後に必ず反復練習をやる。なぜ負けたか徹底して反復練習をした。なぜ負けたか?、その次の日また負けたら、これを繰り返えすと強くなっていく。私が持ったチームは弱かったから。強くなる過程が好きである。強いチームに胸を借りに行くことが大事である。
負けたらなにくそ、この取り組みは秋田県民にはあると思う。他の県人にはない。秋田県人は負けじ魂は強い。
秋工は日本一にならなければならないんだとの気持ちを指導者も関係者も全員もってほしい。
指導者は今がどうかである。昔は素晴らしかった。とのことはやめてほしい。自分がやってきた時代はすばらしかった
こんなことはどうでも良い。今何をするのか?明日何をするのか?それが大事である。
能代工業のバスケの例。東北選手権での優勝の例。練習で何をやりたいのか明確にするべきである。
自分が秋田高校のバスケの時は5時22分の男鹿線に乗らないと、2時間後しか列車がなかった。練習後いつも走って秋田駅に向かった。その当時の秋工ラクビーの練習は異常と思えるほど練習をしていた。
大曲高校がバスケが強い時があった。練習コートは半分であった。練習コートが全面使えるようになってから弱くなった。1週間に1回か2回全面コートが使える時に集中して練習をした。
悪い環境では集中して練習を行った。いい環境になっいたらいつでも練習ができるので集中が分散した。環境がよければ勝てるということは限らない。悪い環境だからがんばることもあり得る。
秋工の練習を見たがすば抜けて体格がよい、背が高い、走るに早いとの、いい選手はいない。どう工夫するかはわかっていることである。全国に出ていく時、東京、大阪の選手を見ても最初からわかっていることである。だからどうする・・・工夫が必要である。
生徒には日本一になるために秋工に入ったのだ、ラクビーは秋田工業高校である。プライドを持て。
プライドだけはなくすな。そのためにどうするか? が大事である。
私の練習方法は自分のやることを全部自分が現場で選手と一緒にやることである。コーチは3〜4人の世界である。
アシスタントコーチは自分のやりたい目的のために動けというタイプである。現在73歳だが、1時間半ぐらい
コート上で選手と一緒にやるタイプである。コーチは選手より汗をかけとのタイプである。選手と共にいくぞ。
地味な練習はアスシタントコーチに任せて本しずは見るタイプである。
今日の練習を見たが一番ボールから離れた時にラインの一番離れたところの選手の目線が良いかどうか
そこが強いチームか弱いチームかの分かれ目である。
サッカーのアルゼンチンのメッシュ選手をみているとボールをもらう前のキョロキョロがいい。持つ前にボールがきたらどうするか?何をすべきか?判断が良いプレーヤーか悪いプレーヤーかである。
強いチームにするにはボールから遠く離れた時にも1人1人はどのような動きをするのかキーポイントである。
わかりやすい例である。
タイムアウトして自分が話している時話を聞いていない選手がいる。ビデオを見てその選手を注意をする。
全員が戦うことでなんぼの世界だから。
アメリカでラインから明らかにボールが出ていく時、追いかけるか辞めるか。飛び込んで行った時お客さんの椅子があり怪我をする。取りに行った選手に対して拍手をする。取れないからやめる。それは次のプレーに繋がらない。次のプレーに繋げるためにプレーをする。ヤリーバーという素晴らしい白人の選手がいた。マイケルジョーダンと同じ時代です。お前が怪我したら大変だ飛び込むのはやめろとコーチが言った。ヤリーバー選手はこの行動がないと明日に繋がらない。怪我をしてもほんもうであると答えた。
ひとつのプレーに全身全霊を入れてプレーをしないといけない。
次に繋がるプレーに創意工夫が大切である。
ナショナルチームを作る時にも外国人に対する対処の仕方については体格・動きに相当の差がある。工夫が必要である。発想の転換をしないとけない。アメリカの練習をそのまま日本人が行っても元々体・体力面で違う。ヨーローパ人、中国人、韓国人、フィルピン人を見てきて、日本人には日本人に合った戦い方があるはずである。日本人でないと出来ないことがあるはずである。
日本人は義理人情は世界一である。これを使わないことはない。日本人は体が小さい。オリンピックで100Mの決勝のラインに立つのは黒人だけである。足が細くて長いサラブレットと同じ理由である。アキレス筋が長くて細い、従って瞬発力がある。日本人はそうゆう競技には向かない。
ラクビーも日本人は向かない競技であると思います。まともに戦っては勝てない。従って工夫が必要になる。
黒人を見てもバスケットに向く身体能力を持っている。日本人にはバスケは向かない。ラクビーも同じだと思います。バスケでも仙台めいせい高校は今2世の時代に入っている。ハーフの選手が活躍してきている。日本国籍をもっている。今丁度高校生くらいに入ってきている。秋田にはそうゆう子供はいないが、日本にはそうゆう子供が増えてきている。八王子高校のバスケにもそうゆう子供がいる。
弱いチームを強いチームにするのはコーチみよりにつきる。今アメリカに行っている冨樫選手は20歳で今後日本を変える選手である。NBAの最低金額は4000万円である。冨樫選手は体感とセンスがすばらしい。非常にいい選手で英語もすばらしい。
これから日の丸をきて行く選手はアスリート(ラクビー)であれば英語が出来ないといけない。英会話をやる必要がある。バスケではジュニアの選手を集めたら英会話をやれと言ってきた。英会話の時間をつくれと常次言っている。ラクビーと英会話が出来る環境にしてほしいと思います。
メデアと仲良しになってほしい。新聞、テレビを味方につけてスポーツ振興をはかる必要がある。
秋工のラクビーはこうでないといけないと県民に発信していく必要がある。それで監督・コーチにフレッシャーをかけて負けては帰れない覚悟をもつ必要がある。
監督・コーチには皆の目が集中した状態で、プレッシャーがかかる状態で練習・試合に臨んでほしい。
自分のチームのコーチには寝るな。練習・試合のビデオを見て研究して悪いところ良いところを探しだし選手に徹底して修正をしていく。選手の目にも見せてやる。駄目なことは徹底して修正してもらう。1時間の練習、試合には3時間かけてビデオ研究して練習に生かしていく。それで選手が育って行っている。それを選手は覚えていくから。秋工ラクビー部もそうゆう指導者・スタッフでありたい。
自分の信条としてヘッドコーチとして周りに遠慮してコーチングは出来ない。遠慮するなら辞める。試合に勝つことが最高のプレゼント・サービスである。勝たせるためにはなんでもやりたい。秋田県民がノーザンハピネッツ準優勝であれだけ燃えるのであれば、もし秋工ラクビーが日本一になれば気が狂うぐらい喜ぶと思います。
1回ここらへんで全国優勝してほしい。全国高校7人制ラクビーでもチャンスがあると思います。
監督コーチは県内・外のラクビーを見て。たとえばニュージーランドのラクビーを見に行く、見ることによって全く違った感覚が出てくる。燃えるような情熱を学んでこい。見ることによって勉強する。2時間の練習をするのであればその3倍の時間を費やして研究して練習につなげてほしい。予習・復習をして子供たちに向かってほしい。自分がやってきた練習はうまくいくが、新しいものを考え・チャレンジして練習に生かしてほしい。やってみてだめだったらやめてさらに新しいものを考え・チャレンジしてだめなら止める。その反復である。そうゆう考えで指導者はチャレンジしてほしい。練習方法や作戦は常に考えて実施してもらいたい。新しい方法を考えて実施して指導者はなんぼの世界である。
年齢に関係なく気力が大事である。
選手とは対話が必要である。いつでも勝ところの大学のコーチはすごい。練習の前に必ず話す。5分の時もあるが20分の時もある。練習のこと。エピソードやテレビ他での感じたことなど元気になる話をする。
話しながらさあ行くぞと気合を入れて始めることが大事である。ストレッチしている時とかリラックスしている時も選手に話しかける。常に話かけながら選手と一緒に戦うことが大事である。お前と一緒に戦うことを常々伝えることが大事である。
自分の場合は趣味と実益が一緒だからこれほど幸せなことはない。楽しい好きなことをしてお金をいただいている。自分の中で常々そう思っている。
選手と男として付き合えるこれほど幸せなことはない。学校で教師の仕事を8年したがつまらない。授業を教えているだけです。心と心の繋がりがない。私の場合は理数系なので因数分解を教えていた。1日4時間因数分解教えてもつまらない。バスケではいろんなことがある。家庭環境であろうが、その子の悩みであろうが、いろんなことがでる。これは楽しい。人と繋がっての仕事ほど楽しいことはない。特にスポーツの仕事はすばらしい。嬉しいことである。
これからは秋工ラクビー部の練習も見ながら応援していきます。私から見れば秋工ラクビーは憧れです。
本日の講演をさせていただきありがとうございました。
以上
記
日時:平成26年度8月19日(火)
選手講演会 :15:00〜16:30(秋工で)
挨拶:瀬田川栄一後援会会長(県会議員)
講演:
お礼:奈良望主将
指導者講演会:18:00〜19:00
開会:藤田幹事長 進行
挨拶:渡辺哲夫秋工ラクビーOB会会長
講演:
質疑応答:
懇親会 :19:00〜20:30
懇話会:藤田幹事長 進行
挨拶:木波教頭
乾杯:工藤嘉範秋工同窓会会長・秋工ラクビー部後援会副会長(県会議員)
締め挨拶:伊藤真吾秋工ラクビー監督
場所:ルポールみずほ(指導者講演会、懇親会)
以上
中村和雄ノーザンハピネッツ前ヘッドコーチの紹介
中村和雄氏(前秋田ノーザンハピネッツヘッドコーチ)は『 心』と『愛』を信念に様々な人と関わってきました。
中村氏が語る言葉は「中村語録」と まで言われるようになり、多くの人たちへ光を指し示す道標のようなものとなっています。
中村 和雄(なかむら かずお、1940年12月4日 - )は、日本のバスケットボール指導者である。鶴鳴女子高校、共同石油(後のJXサンフラワーズ)、浜松・東三河フェニックスなどの監督・ヘッドコーチを歴任し、全国優勝に導いた。
またバスケットボール女子日本代表、秋田ノーザンハピネッツのヘッドコーチも務めた。
渋谷センター街バスケットボールストリートの入り口には、中村の座右の銘である「心をこめて」という言葉が刻まれたモニュメントが設置されている[1]。また日本工学院八王子専門学校が主催する高校バスケットボールの大会「KAZU CUP」は、中村の名前を由来としている。
来歴
1940年、秋田県男鹿市船越に生まれる。秋田高校、芝浦工業大学では主将を務め活躍。
卒業後、秋田いすゞ自動車(現在の横浜ギガスピリッツ)に入社。指導者を目指す。
1966年、鶴鳴女子高校(現在の長崎女子高校)に赴任。バスケット部を全国大会3度優勝に導いた。
1974年、実業団リーグの共同石油(現在のJXサンスワラーズ)の監督に就任。2年後には日本リーグ昇格。
4年後には初タイトルを獲得し、1992年までの在任期間中日本リーグ6回、オールジャパン5回優勝の強豪に築き上げた。
その間、1979年から1981年と1985年から1990年までの2度、全日本女子の監督も務めた。
1995年、秋田経済法科大学の監督に就任。
1998年、オーエスジーフェニックスの監督に就任。1999年の実業団大会優勝及び日本リーグ2部昇格、1999-2000シーズン2部優勝へ導く。
浜松・東三河フェニックスとしてbjリーグ転籍後も引き続き指揮を執る。2009-2010シーズンは最優秀コーチを受賞。初優勝に導く。
翌2010-2011シーズンも優勝し連覇、最優秀コーチも2年連続受賞したが、同年退任。
出身地秋田を本拠地とする秋田ノーザンハピネッツHCに就任[3]。2013-2014シーズンにはチームを初のファイナルに導くも、同シーズン限りで退任した[4]。 現在 秋田県体育協会 ゼネラル・アドバイザー
以上
船木政秋氏 (秋田在住S44K)
伊藤監督挨拶
工藤秋工同窓会会長後援会副会長挨拶
講演1
講演進行 藤田幹事長
懇親1
懇親2
懇親3
懇親4
懇親5
懇親5中村和雄氏渡部OB会長
瀬田川後援会会長工藤同窓会会長
中村和雄(2)
中村和雄
中村和雄講演
渡部秋工ラクビーOB会会長挨拶
木波教頭懇親会挨拶