「古代アンデス文明研究家 天野芳太郎氏(秋工出)の功績しのぶ」
2014/10/16
各 位
秋工ラクビー後援会の船木です。
男鹿市脇本出身の古代アンデス文明の研究者で、ペルーの首都リマに天野博物館を設立した天野芳太郎氏(秋工出)の偉大な功績を知ってもらいたいので皆さんにお知らせします。
天野芳太郎氏をしのぶ記念会が脇本公民館敷地内の顕彰碑前で開かれた。
秋田南米交流会の関係者ら約50人が出席した。
高桑代表は「天野先生の功績を子供たちに伝えていきたい」と挨拶。
記念会に続き、天野先生の孫で、天野博物館の理事を務める阪根博さんが講演。
天野博物館がリマ近郊のチャンカイ渓谷で進めている発掘調査の状況などを報告した。
(秋田さきがけ 2014年10月14日)
天野芳太郎
天野 芳太郎(あまの よしたろう、1898年(明治31年)7月2日 - 1982年(昭和57年)10月14日)は大正、昭和の日本の
実業家、アンデス文明研究家。第二次世界大戦前にパナマに渡り、戦時中は日本に強制送還されるも、再びペルーに
渡り事業を興した。
アンデス文明のチャンカイ文化の調査研究でも知られ、天野が収集した文化遺産をもとにペルーのリマに博物館が開設されている。
・生涯 : 秋田県南秋田郡脇本村(現在の男鹿市脇本)生まれ。
1912年(明治45年)に秋田市高等小学校を卒業、陸軍幼年学校を受験するが視力が弱いため不合格となった。
1913年(大正2年)4月に秋田県立工業学校(現在の秋田県立秋田工業高等学校)機械科に入学した。
1916年(大正5年)3月に秋田工業学校を卒業後、神奈川県にいた父を頼り上京。
1917年(大正6年)に横浜市の浅野造船所に就職。
1920年(大正9年)に合資会社神奈川鋳物工場を設立。その後、小型エンジンを扱う天野商会を設立。その後、関東大震災で罹災するが
、その機会を逃さず横浜市関内の馬車道および鶴見の遊園地「花月園」に饅頭屋を出店し稼いだという。
・アンデス文明の研究 : 天野はペルーでの事業が成功した後、チャンカイ文化遺跡の調査・発掘に取り組んだ。このアンデス文明に対する興味は、チリで農場を経営した際に農場がコンセプシオン郊外のアンダリエンにあったことから、この地の先住民アラウカノ族に興味をもったことに始まるという。
1956年(昭和31年)2月、人類学者の東京大学教養学部助教授泉靖一が天野のもとを訪れる。この際、泉は天野が
調査したペルーの古代文明について興味を持ち、後に東京大学にアンデス考古学の講座を開設した。
天野は1958年(昭和33年)1月に天野博物館を設立。同年5月に東京で「インカ帝国文化展」を開催した。
その後も天野の発掘調査は続き、1964年(昭和39年)5月にリマに博物館が竣工し、1967年(昭和42年)
5月14日には当時の皇太子(今上天皇)夫妻が来訪している。
1959年(昭和34年)ペルー文化功労勲章を受章。
1980年(昭和55年)吉川英治賞を受賞。
1982年(昭和57年)に国際交流基金賞を受賞。
1982年(昭和57年)10月14日に死去。
・外部リンク 天野博物館友の会のページ
以上
船木政秋氏 (秋田在住S44K)
秋田魁新報 2014年10月14日