東京秋工会70年の歩み

  1. 幹事長

  2.  小野鐵雄
  3. (昭和38年土木科卒)

本部同窓会は、大正6年に第9回同窓会会議を開催したことが、「学校行事日誌」により判明、『秋田工業高等学校百年誌』で新事実により同窓会設立時期が大正14年から明治42年に訂正されている。本校で最初の卒業生が出たのが明治40年で同窓会の結成がそれから2年後の明治42年であったことになる。第1期卒業生機械科16名、建築科14名、別科2名(同窓会会員名簿より)が中心に同窓会の結成の機運が盛り上がったものと推測される。しかし、その後同窓会は休止されていたのか活動記録は残されていない。
 (昭和8年度に発行された本校同窓会会報)より『第七號(ラグビー全国制覇記念號)に第8回定時総会の提案議題が掲載され、母校30周年記念式典挙行の後援に関する具体策と、東京、大阪、仙台その他各地に支部設置の促進を懇願する』ことが審議されており、昭和8年度時点では、同校同窓会の東京支部は設立されていないことが判明した。
 (昭和13年度発行の同校同窓会会員名簿)には、『同校同窓会支部設置規定が掲載され、第2条 支部に支部長1名、幹事若干名、評議員若干名を置くとあり、第3条には支部を設置せんとする時は支部役員を定め支部規約及び会員名簿を添えて本部の承認を受けると定められている。同様に同校ラグビー蹴球後援部規定も定め、第3条に本後援部に要する費用は同窓会会員の寄付に依るものとするとあり、本規定は昭和8年4月より之を実行する』と記載されており、昭和8年の同校創立30周年記念式典や同年のラグビー全国大会初優勝後に同窓会支部の設立要件を設け、設立の推奨に努められた時期でもあった。
 昭和15年度発行の同校校友会会報(金砂)第41號に『明治神宮國民大會に参加して ラグビー部 佐々木小一郎(昭和14年度主将)の神戸二中との対戦記が掲載されている。10月27日、生徒諸君の熱誠あふるる聲援に胸深優勝を誓って勇躍長途の遠征に出発。28日、朝上野駅着、午後、明治神宮外苑競技場で明大、立大のラグビー戦を見学、29日、6時前から起き出でて深川区まで赴き藤倉電線株式会社グランドで猛練習、午後は開会式、30日、神戸二中と対戦32対8で勝利、「晩に先輩の祝勝会を受けて共に喜び、来るべき全国大会に期待されつつ激励」される。31日、夜「秋田県人会に招ねかれ、優勝を祝され」午後10時上野駅発。11月1日昼に、皆々の熱援に応へ得た喜びをも重ねて諸君の凱歌に迎へられた』。と掲載している。
 翌年前年度優勝を契機に東京秋工会が発足し、平野会長が全国大会出場者を激励した。
 昭和29年本部同窓会事業報告には、6月17日に東京支部が行った母校50周年記念祭に中村会長、酒井副会長、斉藤靖雄氏の3名が出席したこと。また、東京支部の石井桂次氏(大正4年卒電気科一期生)が来秋されたことが記載されている。
 平成14年8月発行の東京秋工会会報KANASA(金砂)VOL10記念号に同会顧問(元幹事長)斎藤右二郎氏の「東京秋工会の変遷について」によりますと、私が故人となった加藤慶吉さん(昭和53年より副会長、昭和15年機械科卒、同ラグビー部で佐々木小一郎と同期)より聞いた話によりますと、昭和15年ラグビーの全国大会に出場するため上京した折、東京秋工会の平野井雷治会長(明治45年機械科卒)が来てくれ、選手の皆さんを励ましてくれたそうです。佐々木小一郎氏および加藤慶吉氏は昭和15年卒業の同期生であり、前年の明治神宮国民大会ラグビー優勝のメンバーでもあり、加藤慶吉氏の話の信頼性は裏付けられ、この時期には、「東京秋工会」は存在し活動していたことが立証されたことになります。また、手元にあります古い名簿(昭和25年)によりますと、当時の会長は平野井雷治氏、会員総数は約250名となっており、幹事を多数(年代制)決め、連絡を取り合っていた様です。
 その後昭和40年に平野井雷治氏が名誉会長、谷藤正三会長(昭和12年機械科卒)、讃岐谷信永幹事長(昭和12年機械科卒)のラインが決まり、昭和53年迄続き、昭和53年に金子幸太郎氏(昭和23年工業化学科卒)が幹事長となりました。時がさらに過ぎ昭和58年に斎藤右二郎氏(昭和26年機械科卒)が幹事長となり、そのころ谷藤正三会長の発案により在京の秋田県高等学校同窓会の連合会を作ろうという事で秋田工業、秋田商業が中心になり秋田県高等学校同窓会連合会を誕生させました。 昭和62年澤木誠一会長(昭和26年電気科卒)、斎藤右二郎幹事長体制となり、平成4年に東京秋工会会報KANASA創刊号を発行にこぎつけております。平成7年三平俊悦幹事長(昭和39年建築科卒) が就任し、澤木誠一会長、三平俊悦幹事長体制が平成19年度まで続きました。
 その間、澤木誠一会長は、秋高連会長にもなり多方面で活躍されました。
 平成20年三平俊悦氏が東京秋工会の四代目の会長に就任し、小野鐵雄幹事長(昭和38年土木科卒)との新しい体制となり今日に至っております。その間、東京秋工会会報誌も今年で第18号となり、毎年充実した内容で発行できる体制が出来上がっており、喜ばしい限りであります。

この経緯を踏まえて、秋田工業高等学校同窓会の東京支部であります「東京秋工会」の創立70周年の年と位置付け、今年11月6日(土曜日)に「東京秋工会」創立70周年記念総会を開催する計画を進めております。
 また、70年の歩みと共に母校生徒の減少や少子化の進行により、卒業生の首都圏への就職者が激減しており、同会に入会する同窓生もまた減少することは避けることが出来ない現象であると思っております。この厳しい現実を捉えながら、10年先の後輩に先輩は良く頑張ってくれたと言われるように、役員一同体制の維持発展に努めてまいります。会員の皆様には更なるご支援をお願い申し上げます。

母校及び同窓会の歩み
年  度 西 暦 学校の歩み 同窓会の歩み
明治37年4月 1904年 4月生徒募集、5月2日授業開始
明治40年3月 1907年 第1期卒 機械科16名 建築科14名 
明治42年 1909年 (新)本部同窓会設立 (羽生実会長)
昭和 8年 1933年 創立30周年記念式典 関東に代表者派遣、支部設置懇願
ラグビー全国大会初優勝
昭和13年 1939年 ラグビー全国大会優勝A 本部同窓会名簿作成
昭和14年10月 1939年 ラグビー明治神宮国民大会優勝秋田県人会祝勝会開催
昭和15年度 1940年 ラグビー全国大会出場 東京秋工会発足 初代会長 平野井雷治
東京秋工会ラグビー全国大会出場者激励
昭和22〜24年 1947年 ラグビー全国大会3年連続優勝
昭和25年 1950年 東京秋工会の名簿作成(会員250名)
昭和26〜27年 1951年 ラグビー全国大会2年連続優勝
昭和29年5月 1954年 母校創立50周年記念式典
東京秋工会母校50周年記念祭に校長出席
昭和40年 1965年 東京秋工会第2代 谷藤正三会長選出
昭和62年 1987年 東京秋工会第3代 澤木誠一会長選出
平成16年 2004年 母校創立100周年記念式典
平成20年 2008年 東京秋工会第4代 三平俊悦会長選出
平成22年 2010年 東京秋工会70周年記念式典開催予定