異郷で暮らす(連載 その3 交通事故)


  1. 大沢 由雄
  2. (昭和31年機械科卒)

1:交通事故
 ミナス原油の生産地のミナスの町は、スマトラ島の真ん中にある。パカンバルとデュマイ間250Kmのほぼ真ん中である。この道は石油会社が熱帯雨林を切り開いたもので、奥地から海岸まで幅が広く直線の多い道である。何の障害があろうとも、出来るだけ最短で結ばれた道でもある。粒子の細かい粘土層を削って、盛土をして産業用として作られた道でもある。その舗装は簡易も簡易、路面に廃油を散布して、それを繰り返すだけである。
東京にスノータイヤの発送を依頼したが、東京ではデュマイは赤道直下で海抜0mに近い場所で、何ゆえにスノータイヤかと訝ったが、道路事情を聞き及んで納得したのである。
スノータイヤが船便で着くまでは、事故防止のため安全運転の励行になった。まさに「南の島に雪が降る」のべつバージョンの話である。
砂漠の幹線道路の片側に工事用の盛土があった。駱駝との衝突には細心の注意はするが、夜間に時速100Kmのスピードでは、この盛土は認識できない。車輪の片側がそれに乗り上げ車はひっくり返った。まさに、亀が甲羅を下にして滑っている状態である。
 それを運転していた人は「ブレーキをいくら踏んでも停まらない。バックミラーには火花が見えた」と話していた。停まらない理由は車輪ではなく屋根が路面を滑り、火花はその時に出たものであったとは、その時には気が付かなかったようで、ただただ事故の状況報告だけであった。命拾いした後であり、興奮冷めやらずの状態である。皆は無事を喜び、車体はどうなったかかの話にはならなかった。
 年月が経過して、その人は別の国で急病になり、日本に帰り入院したが帰らぬ人となっている。ひっくり返った車の中で、ブレーキを踏んだ時の体の維持はどうしたのか、今はもう聞くことはできない。
 同じく砂漠の中での話である。多くの所では隣の町までは200Kmも離れている。道は立派に舗装され直線が多く幅も広くて高速走行には最適である。  前方の景色とバックミラーに写る景色は同じになる。これは丁度、吹雪でできる吹き溜まりの低い所と同じである。砂漠では雪に替わって、砂粒が規模の大きい吹き溜まりをつくる。前方にはこれから登る坂道の、バックミラーには通過した下りの坂道の風景である。砂の起伏以外何もない所である。前も後ろも全く同じ景色を見て、自分は気が狂ったのではないかと思った、と言っていた人がいた。
2000ccクラスの車でも時速150Kmを越えると、車体は細かく揺れるように感じられる。タクシー運転手に後ろの席から、速度を落とすよう求めるが話が通じない。話しかけられた運転手は何事かと、話の内容を確かめるために後ろを振り返る。この間は前方不注意の行為である。車の高速走行よりも、この行為の方が遥かに恐怖を感じる。それ以降は話しかけるのを止めて、ただただ神のご加護を期待するだけであった。
 3人が帰らぬ人となった事故は、こんな事があったのではないか思われるのである。これも今では確かめる術がない。
 旧イギリス領はイギリス式の交通方式を採用している。右ハンドルは日本と同じであるが、郊外の交差点は全て信号なしのロータリー方式である。 夜遅く、時速100Kmを越えるスピードで直線道路を走行していると、迫ってくるロータリーは一瞬の間に目の前である。急ブレーキ、急ハンドル操作は禁物である。車は直径50mもあるロータリーの縁石を乗り越えて、真ん中の砂地で停まる。幸いに車にはダメージもなく、低速で直線に進みロータリーを脱出し、再び目的地への本線に入ることになる。  中には、付近で起きた事故車の残骸をうず高く積んで、ドライバーへの見せしめにしているロータリーもある。不運にしてこの事故車の山に突っ込んで、事故でも起したら笑い話にもならない。

2:高級車
 パリの高級レストランでの、アメリカ人とサウジアラビア人の会話である。アメリカ人は「テキサスの車庫に保管している3台のリンカーンが、今どうなっているか心配である」と話し始めた。これを聞いたサウジの人は「それは心配ですね」と相槌をうって「家で飼っている三十頭の駱駝が心配である。中にはレースで大金を稼ぐ可愛いのもいる」と暗に駱駝は飼っていないだろうと反撃を開始した。両者の話は次第にエスカレートしたが結末は知らない。恐らく自慢話の応酬を2人は楽しんだであろう。それにしても大きな自慢話である。
 オックスナードの家に、ニューヨーク本店からの人が訪ねて来た。家の前にはリンカーンが停まっており、彼に事情を尋ねると「ロス空港でのレンタカーは生憎これしかなかった」とのことであった。実に単純な理由であった。
 最後は日本での話である。子供の声はよく通る。母と子の2人連れが人通りの多い歩道で、突然、子供は「ママ、あれは僕の車と同じだ」と通り過ぎ去る高級車を指差して満足した様子である。  通りすがりの人たちは、ある人は振り返り、ある人は歩を停めて母と子を見つめていた。母の顔は通行人の視線を浴び、みるみる間に赤面となってしまった。母は子供に「よかったね、本物を見れて」と小声で言うのである。子供は持っているミニチュアカーの本物を見れた、満足感を顔一杯に表していたのである。

3:おわりに
 退職後に「忘れる前に」とのサブタイトルで書き綴った体験記を改めて見ると、関連するいろいろなことが思い出される。本稿の記事の内容は赴任当時のもので、古いものは今から40年も前のこともあります。
時が経ちすぎて、現在の状況とは違っているだろうと、思いつつ記したものです。その時にはこんなことがあったくらいで、ご容赦をねがいたいものです。