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会員寄稿

佐野正文氏の訃報に接して。

3月17日付けの朝日新聞朝刊で、「釜石ラガーマン復興へスクラム」の記事を見つけました。かつて1979年から1985年まで7年連続日本一に輝き「北の鉄人」と呼ばれた新日鉄釜石が母体のクラブチーム「釜石シーウェイブス」の選手たちが、町の復興に立ち上がったとのこと。
記事の中ほど、「釜石ラグビー協会会長の佐野正文さんが、津波で亡くなった。」とあったのを見て、秋工時代の記憶がよみがえりました。

私は昭和38年に秋工電気科に入学しましたが、同級生の中にひときわ身長が高い生徒がいました。男鹿の北磯中学卒の細川直文君でした。細川君は後に佐野姓となった正文氏とは双子の兄弟で兄の正文は機械科、弟直文は電気科に入学し、二人ともラグビー部に入部しました。中学時代は北磯中学で野球をしており、バッテリーを組んでいたと聞いたように思います。
昭和40年、秋工ラグビーは花園の決勝で天理高校を6-3で破り、高校ラグビーで12回目の全国優勝を果たしました。全校で秋田駅に出迎えに行ったように思います。
細川直文君は、電気科で座席がとなりだった時もあり、ラグビーなどについて様々なことを知りました。 県内では無敵で、「試合のある日は終わると早く帰るれるのでうれしい」と、放課後の厳しい練習を語っておりました。盛り上がった太ももに触ると、金属のように固かった記憶があります。

細川兄弟は新日鉄釜石に就職し、「北の鉄人」と呼ばれ、社会人全国大会での試合がテレビ放映されました。ある試合で細川君がドロップゴールを狙い成功しませんでしたが細川君の照れ笑いを見て、こちらもほほ笑みました。
細川君は、その後千葉県君津に転勤になり、東京で有志10人ほどの電気科同窓会の集まりのときに会い、オーストラリア遠征の話など聞きました。
今回正文氏の訃報に接し、直文君の身も案じましたが、千葉県君津に転勤になったと聞いたことを思い出しました。

釜石は今回壊滅的な被害に遭ったと聞いております。亡くなった佐野正文氏のご冥福をお祈り致します。
(* 北浦中学ではなく北磯中学でした。)

赤川均(昭41電気科卒)

ネットで佐野氏の写真を探しました。左端が佐野氏と思われます。(写真は「がんばれ釜石ラグビー」サイト、2007年記事より)