秋工同窓会
各 位
秋工ラクビー後援会の船木です。
「 落合博満氏、吉田輝星に「投手がいなかったら、ドラフト1でいきます」NHKサンデースポーツ」を紹介させていただきます。
プロ野球、元中日監督の落合博満氏(64)が2日、NHKのスポーツ番組「サンデースポーツ2020」(日曜後9・50)にゲスト出演。今夏の甲子園で準優勝した金足農高(秋田)の吉田輝星(こうせい)投手(3年)について、「変なことを覚えないで、このままいってくれた方がいい」と語った。秋田工OBの落合氏は以前、故郷の後輩の吉田を「一級品の投手ですよ」と高く評価していた。 この日の番組では、吉田の武器である“キレと伸びのある直球”を科学的に分析した。
落合博満:
この投手はいい投手です。
あの投げ方、あの体の使い方、ああいうボールを放れなかったら、一人で秋田大会の予選から甲子園決勝まで、1500~1600球投げられません。
ボールに自分の体の力をうまいこと無理なく伝えてるから、ああいうボールで球数を投げられた。
変なことを覚えないで、このままいってくれた方がいい。
自分が監督で投手がいなかったら、ドラフト1でいきます。
〇プロ野球の新人選手選択会議(ドラフト会議)で日本ハムから1位指名を受けた金足農高の吉田輝星(こうせい)投手が15日、秋田市土崎港のポートタワー・セリオンで球団側と入団交渉を行い、契約金1億円、年俸1千万円で仮契約した。入団が決まった吉田投手は「ファイターズで野球がやりたい気持ちが強くなった。将来は球界を代表する投手になりたい」。
参考:
落合 博満(おちあい ひろみつ、1953年12月9日 - )は、秋田県男鹿市若美町出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)秋田工業高校野球部OB。
監督、野球解説者、タレント。
選手時代は1979年から1998年にかけてロッテオリオンズ、中日ドラゴンズ、読売ジャイアンツ、日本ハムファイターズに在籍し、日本プロ野球史上唯一となる3度の三冠王を達成。2004年から2011年まで中日の監督として指揮を執り、すべての年でAクラス入りを果たし、4度のリーグ優勝、1度の日本一を達成。2013年シーズンオフから2017年1月までは中日のゼネラルマネージャーを務めた。
◎プロ入り前
1953年、秋田県男鹿市若美町にて7人兄弟の末っ子として生まれる。
長嶋茂雄に憧れて野球を始め、小学生の頃は雑誌などに載っている長嶋のバッティングフォームをよく真似していた。
中学・高校時代は、年間100本もの映画を観賞する映画少年で、特に『マイ・フェア・レディ』は7回見に行き、劇中歌の歌詞(英語)を覚えたほどだった。
若美町の後輩(1学年下)には船木千代美がいる(後にTDKの監督として都市対抗野球で東北勢の初の優勝を果たす)。
1969年、秋田県立秋田工業高等学校建築科に進学。体罰をもよしとする体育会系の風習が嫌いで、甲子園常連校ではなく無名の秋田工業を選択した。
ところが予想に反して先輩による理不尽なしごきがあり、それに耐えかねて野球部を退部。
野球部に在籍していた時期も、野球をしている時間よりも映画館にいる時間の方が長かった。
投打共に落合ほどの実力を持った選手がいなかったため、試合が近づくと部員たちに説得され、復帰した。落合はほとんど練習をせずに、4番打者として試合に出場していた。
高校時代は退部と復帰を通算7回繰り返している。野球の名門校ではないため野球選手のOBが少ないが、高校の後輩の川邉忠義とはそれぞれFA制度による移籍の影響で、巨人・日本ハムでチームメートになっている。
1972年、東洋大学に進学。しかし、ここでも先輩がタバコを手にしたら後輩がそれに素早く火をつける、などといった体育会系の慣習に納得できず、故障もしたことで、わずか半年で野球部を退部して大学も中退。
秋田に帰った。その後、ボウリング場でのアルバイトをきっかけにボウリングに目覚め、プロボウラーを志すようになるが、これも挫折した。
1974年、母校を訪ねた際に才能を惜しんだ高校時代の恩師の勧めもあって東京芝浦電気の府中工場に臨時工として入社。
同工場の社会人野球チーム・東芝府中に加わった。ここでの在籍5年間の公式戦で約70本塁打を放つなど頭角を現す。
1976年には中心打者として、東芝府中を創部23年目で初の都市対抗出場に導く。1回戦でデュプロを降し初勝利をあげるが、愛媛相互銀行に完封を喫し敗退。
翌年以降も、都市対抗に日本通運、電電東京の補強選手として3年連続出場。
1978年には、木田勇、森繁和らとともに第25回アマチュア野球世界選手権日本代表に選出された。
この頃の落合は、日中トランジスタラジオの基板を組み立て、夕方から野球の練習をする、という生活を送っていた。
1978年のドラフト会議でパシフィック・リーグのロッテに3位指名されて入団。同年の誕生日で既に25歳という、当時としては非常に遅いプロ入りとなった(通算2000本安打達成者の中で最も遅いプロ入り)。
落合をスカウトした城之内邦雄によると、指名理由は「変化球に強く、投手が苦手とするタイプの打者」という一点のみだった(城之内は投手としての視点から、落合の資質を見抜いていた)。
巨人は落合をドラフト2位で指名する予定であったが、江川事件によりドラフト会議自体をボイコットしたため、指名は実現しなかった。
外部リンク:
〇吉田輝星の日ハム入団に落合博満が称賛した理由:
〇落合博満氏、金足農・吉田輝星を改めて評価「投手いなかったらドラ1でいく」:
〇金農・吉田、日ハムと仮契約 契約金は推定1億円:
〇「これからは野球が仕事」 吉田投手、新たな一歩踏み出す:
〇吉田投手、窓ガラスにサイン セリオン展望ホール:
〇輝星、努力続けて 吉田投手父・正樹さん、親心語る(私の友人に天王町の朝野球チームで輝星の父と同じチームメイトも応援):
秋工同窓生の皆様 潟上市天王出身・吉田輝星の応援よろしくお願いいたします。
以上
船木政秋氏 (秋田在住S44K)