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なまはげ通信

2021/01/23

金子洋文(秋工OB)と湯川秀樹(ノーベル賞初受賞)の交流(パリのキスに驚く2人)

秋工同窓会
 各 位
 秋工ラクビー後援会の船木です。

「金子洋文(秋工OB)と湯川秀樹(ノーベル賞初受賞)の交流(パリのキスに驚く2人)」を紹介させていただきます。

秋田市出身の作家で日本発のプロレタリア文芸誌「種蒔く人」の創刊者の1人として知られる 金子洋文(秋工OB)はかねてからあこがれていたフランス・パリに59歳にして初めて渡った。 参議院議員をつとめていた1952年(昭和27年)のことだ。

金子洋文は議員在任期間6年だけであったが、任期中は文化や文芸に関連する政策に深くかかわった。 パリ行きはその一環だった。

1952年11月から約1か月にわたり開催されたユネスコの総会に両院議員の代表として参加。 滞在期間は40日にも及んだ。

金子洋文はパリを訪れた日本人を案内できるほど街を歩き回り、身をもってその地に学んだ。 彼が案内した「お上りさん」の1人に1949年(昭和24年)日本人で初めてノーベル賞(物理学)を受賞した 湯川秀樹博士がいた。湯川はアメリカで開催される物理学の国際会議に向かう途中、ユネスコの総会に 参加するために立ち寄った。

金子洋文は湯川秀樹との思いでとして、パリ市庁舎近くの狭くて暗い商店街を歩いていた時のことをつづっている。 20歳前の若い男女が、雨にうたれながらガッチリと抱き合ってキスをしている。

噛みつくようなはげしい接吻、貧しい服装はわかったが、うしろむきの男の顔はもちろん、女の顔も男の顔 におおわれて見えないのでかえって薄気味わるい。2人とも、その情景が映し出す圧迫感に戸惑いをおぼえたのだろう。 湯川さんも私も何も言わず、明るい街を求めるように、雨の中を 靴を鳴らして路を急いだ。

2人はモンマルトルの丘のうえに立つ著名なシャンソン酒場「はねるウサギ」を訪れた。 ユトリロやピカソら世界的な画家たちが足繁く通い、描いたことで知られるこの店で、金子洋文はシャンソンを 歌う客を見て自分も30年前へ帰ったような郷愁の中へ誘い込まれる思いをした。 店周辺の家々のたたずまいにも「印象派の絵を思わせてなつかしい」と親しみを覚えている。 その音楽と雰囲気の中に、秋田の民謡を歌う故郷の人々を思い起こした。 パリの屋根の下は金子洋文にとっても思い出の眠る愛着の深い場所だった。 (秋田さきがけ 杉淵洋一(文学博士) ノースアジア大学明桜高校 非常勤講師 )

金子洋文紹介:
(かねこ ようぶん、1893年4月8日 - 1985年3月21日)は、プロレタリア文学の大正・昭和期の小説家、劇作家、日本社会党参議院議員。

湯川秀樹紹介:
 ゆかわ ひでき、1907年(明治40年)1月23日 - 1981年(昭和56年)9月8日)は、日本の理論物理学者。
 京都大学・大阪大学名誉教授。京都市名誉市民。1943年(昭和18年)文化勲章。
 位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。学位は理学博士。
 京都府京都市出身。 原子核内部において、陽子や中性子を互いに結合させる強い相互作用の媒介となる中間子の存在を1935年に理論的に予言した。
 1947年、イギリスの物理学者セシル・パウエルが宇宙線の中からパイ中間子を発見したことにより、
 湯川の理論の正しさが証明され、これにより1949年(昭和24年)、日本人として初めてノーベル賞を受賞した。

外部リンク:
  〇金子洋文 画像:
  〇金子洋文(読み)かねこようぶんの解説:
  〇湯川秀樹 画像 :

秋工同窓生の皆様  小説家、劇作家、金子洋文先生(秋工OB)の応援よろしくお願いいたします。


以上

パリ市庁舎前のキス

書いた論文がノーベル省を受賞湯川秀樹博士

湯川秀樹、アインシュタイン博士

金子洋文、湯川秀樹と共に訪れたシャンソン酒場

金子洋文と湯川秀樹博士の交流

金子洋文(秋工OB)

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