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なまはげ通信

2022/10/20

みちのく秋田 「赤い靴の女の子」 秋田・先行上演会開催 の紹介(10月24日(月))

秋工同窓会
 各 位
 秋工ラクビー後援会の船木です。

「 みちのく秋田 「赤い靴の女の子」 先行上演会開催 」 を紹介させていただきます。


<埋もれかけていた “時代の記憶” が映画となって甦ります>
 時代の記憶を次代へつなぐ

 日本人なら誰もが知っている童謡 “赤い靴” は、詩人 野口雨情 が北海道で新聞記者をしていた頃に知り得た話しをもとに、作詩したものです。
 日本が貧しかった時代、愛する我が子をやむを得ず手放さなくてはならなかった。ひょっとしたら、当時の日本には人知れず数多くあったことなのかもしれません。 
 そんな “赤い靴” の詩のような実話がみちのく秋田にあったことをご存じでしょうか?
 引き取ってくれた相手は遠い異国からの訪問者。明治という時代、獄中生まれという数奇な生い立ちゆえに生みの母と暮らすことが許されず、養母となったアメリカ人宣教師 ミス・カラ・ハリソン と共に異国の地アメリカへと渡った、日本名 “金子 ハツ” 、アメリカ名 “コラ・ユリア・ハリソン” 、そして彼女と関わりのあった人々が織りなす、悲しく切なくも心温まる物語です。


<先行上映会について>
 お待たせしておりました。本映画の先行上映会の開催が決まりました。つきましては、今年10月には秋田と横手で、11月には東京での先行上映会を行います。
 以降は全国の映画館、及び上映会場等での上映を予定しております。
 ご協賛頂いた方には、返礼品と共に映画優待鑑賞券を送らせていただきました。
 映画優待鑑賞券は先行上映会(秋田、横手、東京開催)は勿論、お見逃しの場合はその後の映画館・上映会場でもご鑑賞いただけます。また一般の方は、先行上映鑑賞券(大人1,500/高校生以下1,200円)をお買い求めいただければ鑑賞できます。ただし、東京会場の「昼の部」については販売していません。
 ご家族・ご友人・ご近所の方々にご紹介いただけましたら幸いです。

秋田先行上映会
 場所:秋田アトリオンホール(700席)
  〒010-0001 秋田市中通2-3-8(アトリオン4階)
  (秋田駅から広小路通り徒歩5分)
 日時:10月24日(月)
  午後6時00分 開  場
  午後6時30分 舞台挨拶
  (安田聖愛、アナンダ・ジェイコブズ他)
  午後7時00分 上映開始
 問い合わせ先 090-4422-1534(曽我)090-3049-7291(舩木)

プレイガイド
 ◆さきがけNewsCafe(T018-874-8171)
 ◆秋田チケットアルヴァ店(T837-6116)
 ◆秋田チケット山王店(T823-5959)
 ◆秋田ステーションビル・トピコプレイガイド(T889-3580)他


あらすじ

時代は明治から大正。あの歌に有名な 野口雨情 作の詩から遡ること二十二年前、みちのく秋田からアメリカへと渡った十二歳の少女、ハツが辿った人生の物語である。明治十九年の冬は歴史に残るほどの豪雪であった。明けて明治二十年、三月になっても吹雪く日が続いていた。
 そんなある日、吹雪で出先から帰って来れない専蔵(ハツの父)が不在の時、この物語の発端となる不幸な事件は起きた。後添えとして専蔵のもとへ嫁いで来たふじ(ハツの生母)とその存在を疎ましく思っている姑のウメの二人に起きた諍いが継娘の初を死なせてしまったのだ。すべての罪を背負い、刑務所へと収監されたふじのお腹の中には新しい命が宿っていた。

ふじの生い立ちは不幸なものであったが、専蔵と出会い、想い合い、そして結婚。ウメとのことはあっても、継子の二人との仲も良く、そして結婚の翌年に男の子(ハッの兄)を出産。あの不幸な事件が起きるまで、つかの間ではあったが幸せな日々であった。
 終身刑の判決を受けたふじ。明治二〇年の十一月四日、獄中で女の子を出産、カタカナでハツと名付ける。
 しばらくして面会に来た専蔵に、生まれたばかりのハツを差し出すも専蔵はその場から逃げ出す。絶望感が漂う。
 ミス・カラ・ハリソンが宣教師として秋田に赴任したのは事件の前年のことであった。布教活動をしながら秋田英和学校を設立するなど、さまざまな活動を精力的に行っていた。

 ある日教誨師として刑務所を訪れたミス・ハリソンは赤ん坊の声を耳にする。看守から事情を聞き、ふじと面会したミス・ハリソンはハツを引き取る決心をする。
 囚人の子として生まれたハツへの心ない揶揄はあったが、ミス・ハリソンの熱意に共感した人々の協力を得てハツは育てられていく。そんな一人に川井運吉という教え子がいた。

 学校へ入学する年齢になったハツに危惧を感じたミス・ハリソンは、まだ独身の運吉にハツを養女にしてくれるよう頼む。決心した運吉は、実家から分家し、ハツの戸籍を移した。ハツは川井ハツとして学校に通うことになった。
 明治三十年十一月二十四日。ハツの生母ふじ逝去。
 その二年後、日本での布教活動の期限が迫ったミス・ハリソンは、ハツを連れて帰国することを決意する。アメリカに連れて行く前にと、ハツを連れハツの実家である大口村へ・・・。

 ハッ十二歳の時、ミス・ハリソンに伴われ、横浜の波止場から船でアメリカへと渡った。
 ハツが最初に暮らしたアメリカの地はロスアンゼルス。正式にミス・ハリソンの養女となったハツはコラ・ユリア・ハリソンの名を与えられる。
 同地で中学、高校、大学と進んだが、大学を卒業する頃には、排日運動の嵐が吹き荒れ、就職もままならず、二人は日本人移民の多いハワイへと移る。
 ホノルルで師範の検定試験を受け合格したハツは、公立学校の教師になった。同時にミス・ハリソンと共に当時虐げられていたハワイの日本人移民と深く関わっていく。そんな中にはほのかに想いが沸き立つような出会いもあった。

大正十一年、耕地労働者や学校の生徒の間に肺結核が流行した。そうした人たちの支えになろうと頑張っていたハッ。
 同年四月三十日、ハツはいつものようにミス・ハリソンに手を振り、出かける。
 病院のベッドに横たわるハツ。傍らにいるミス・ハリソンに「ママお先に・・・」と一言。 享年32歳。

 ハツの死後ミス・ハリソンは宣教師の座を退き、七十八歳の生涯を閉じるまで、日系人のための奉仕活動を続ける。
 今、アメリカ人の母と日本人の娘はヌアスの墓地で仲良く並んで眠っている。そして、ハツが通った尋常高等小学校の跡地にミス・ハリソンと共に立っている。(秋田の赤い靴像となって・・・
 本編の中では、セミドキュメンタリー映画ならではの様々な人間ドラマが展開されます。秋田の風景や聞き覚えのある秋田民謡、所縁の曲などが網羅されます。

  
事務局
制作者
みちのく秋田・赤い靴の女の子 制作委員会
統括プロデューサー・制作委員会委員長
 大山 雅義(秋田市生まれ、テレビ番組企画制作会社(株)ヌーベル代表取締役)
 TEL:090-6549-3022  E-mail:nouvelle@ever.ocn.ne.jp
脚本・監督
 石谷 洋子(横手市生まれ、放送作家、日本脚本家連盟理事)
運営委員(副委員長)
 舩木 一美(総合サポート委員、秋田市出身) ・・・ 東京秋工会副幹事長 (東京秋工会広報担当委員長)
 TEL:090-3049-7291  E-mail:kf-works@sea.plala.or.jp
 曽我 貢誠(企画サポート委員、河辺町(現秋田市)出身)
 TEL:090-4422-1534  E-mail:sogakousei@mva.biglobe.ne.jp
運営委員(ワーキングサポート委員)
 金子 幸子 (財務サポート委員、秋田市出身)
 鈴木 猛  (運営サポート委員、合川町(現北秋田市)出身)
 藤原 和広 (運営サポート委員、湯沢市出身)
 門脇 成英 (運営サポート委員、仙北市出身)
 畑澤 富美夫(運営サポート委員、矢島町(現由利本荘市)出身)
 岸谷 宏幸 (運営サポート委員、小坂町出身)
 竹内 カンナ(広報サポート委員、秋田市出身)
 星  和希 (広報サポート委員、秋田市出身)         

外部:
◎ 映画「みちのく秋田 赤い靴の女の子」公式サイト (akita-akaikutsu-eiga.jp)
◎ 映画「みちのく秋田・赤い靴の女の子」先行上映会のご案内 ~秋田県総務課・交流推進員からのお知らせ~ | 秋田県・市町村からのお知らせ | 秋田県人会 (akita.lg.jp)
◎「赤い靴の女の子」10月公開へ支援募る (akita-furusato.main.jp)
◎ 「石谷 洋子 脚本・監督」の検索結果 - Yahoo!検索 (画像) 以上

   


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ミス・ハリソン(アナンダ・ジャイコブズさん)

岩田為作(ハワイの移民)秋沢健太郎さん

川井運吉(渡辺佑太郎さん)

律(藤岡の妻)(Yummiさん)

石谷洋子監督 横手市生まれ

立原(日本語学校の教師)松本寛也さん

藤岡徳衛門(能代の廻船業)(永島敏行さん)

金子ふじ(壇蜜さん)

金子ハツ(安田聖愛さん)

金子専蔵(ふじの夫)(小栗銀太郎さん)

   
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